
ここでは映画の感想などを書いてみます。批評ではなく単なる感想でありツッコミであるので本気で反論などはお断りします、別に検索して調べて書いている訳でも無いので間違っている部分もあるかも知れません、その訂正に関してはお受けしております。でわ。
「式日」
庵野さんの実写2作目、前作の「ラブ&ポップ」は本当によく出来ていて時代ともうまくシンクロしてて大傑作だったのだが、今回はどうだろうか。
始まって、あちゃー、入れないわと思った、自意識過剰なサブカル少女とそれに翻弄される監督の分身の話なのだが、やはりいい歳をした大人が作るのはちょっと痛いと思った、もちろん、当世を生きる悩める女子には直球だと思う、エンディングはcoocoだし、ああいうの好きな娘って絶対いる、なくならない、楠本マキの漫画とかに似てるかも知れない。
そんな訳で世界に入れないまま映画は淡々と2時間続くのだから辛い、今風に言うとありえねえって世界。でも編集は凄かった、やはり凄い才能だと思う、ナレーションでもこの映画は一時的に自己満足の刺激を与えてくれるだけの存在と言い放っている、そのクールな姿勢は認めるが、あまりにも刹那的すぎるメイクとかはついて行けなかった、致命的なのは岩井俊二、リアリティが無い、庵野さん本人でやって欲しかった、その照れが駄目だったのかな、手をつないで遊園地でデートなんて場面はもう本当に駄目ですよ、凄い自意識過剰の重いべっとりとした嫌な感触でした。
メイキングの映像が凄くよかった、本編と続けてみると凄くいい気持ちになれる、メイキング映画としては評価できます。
「処刑軍団ザップ」
見る前まではとんでもない映画とか想像してたけど、いや、とんでもない映画ではある、僕が思っていたのはザップなる処刑軍団が村びとを殺戮するスプラッタームービーと思ってた。
ところがザップなる軍団も人物も出ない、アメリカの田舎にヒッピー集団がやって来る、そしてその騒ぎに耐えかねたじいちゃんが抗議に行くとなんかLSDを無理矢理食べさせられてハイになって帰って来る、孫に恥ずかしくてもじもじと言い訳するじいちゃん、そこからだ、この孫が大変だ、処刑軍団ならぬ、処刑プロ孫!って感じだ
この孫、狂犬病の犬を撃ち殺し、その血を注射器に入れてヒッピーが買っていくミートパイに混入、恐ろしい、こんな恐ろしい孫が本当にいるのか?実は実際に起きた話だったのだ。
この狂った孫が狂犬病の犬の血液をヒッピーに食べさせ、そしてヒッピーだけでなく町中が狂犬病になってしまうという、気狂い孫の起こしたリアルストーリーなんだな、しかも孫は子供なので社会的責任まるでなし、いいのかこれで!
狂犬病になった村びとが首切ったり手切ったりするんだけど、特撮はマネキンって感じで怖くない、それよりも事件を起こした孫に対する憎しみだけが加速して行く、しかも孫は結構いいポジションにいて最後までおとがめなし、世の中の不条理を思い知るなあ、白人の無垢な少年は狂犬病の血液を無差別にパイに混入してもいいのか、憤りの無さが映画の破綻具合に比例している、ほんと見終わってこの孫だけはなんとかしないと納得できないとかなり不満たまりますよ、ヒッピーたち可哀想だよほんと。
「ロックンロールは○×□」
フランクザッパのアルバムでも有名な、ロックの歌詞の問題をリアルに映画化した作品。80年代後期、アメリカでは暇な議院妻が「プリンスのセックスの歌を娘が歌ってて…」とか言って歌詞の規制をはじめたんだわな、それで著作権委員会の人達とかとザッパ、デースナイダー(本人)、ジョンデンバーらが反論、見事に馬鹿妻らを言い負かす気持ちのいい映画、そして事実、ザッパが本人では無いのはしかたないがかなり似てるし、やはりテーマがぐっと来るよなあ、これ以降歌詞に規制のシールが貼られるようになったんだけどザッパはよくやったよと言いたくなる作風。僕もザッパ側なのでひいきかもなあ、僕側の人には気持ちのいいドキュメンタリーになってます。
「24アワーパーティピープル」マンチェを作った男の自伝というので期待するじゃない普通、監督はマイケルウインターボトムだし、冒頭のマヌケな映像から突如ピストルズの初ギグのシーン、これが緊張感が凄くあってよかった、来た来た!って感じで興奮して見てた、ところがそこまでだったんだ。
それからファクトリーとジョイディビジョンの話に移行するのだが、主人公をはじめ誰にも感情移入できない、自殺したイアンカーティスだってどんな奴だったか全く描かれてない、そのまま自殺するので哀しくもなんともない、そしてハッピーマンデーズとクラブハシエンダ、これはもう事実なんだろうけど、あまりに無軌道で呆れてしまう、ジャンキーでガキ集団のハピマン、レコーディングにイビサ島に行くが機材を売り飛ばしてドラッグ買って遊び、結局マスターテープを大金で売り付けてたりする、めちゃくちゃだ。
ハシエンダも売人と銃がどんどん増えて行き、なんか「ジュリアナ東京」を思わせるバブリーな嫌な感じになって行く、それで感動の閉店シーンたって無理よ。CGもやり過ぎで嫌悪感をおぼえた、終了後、みな無口に足早に劇場を出た。
「プラトーン」
バブル開始時86年の戦争映画。当時は「ランボー2」「トップガン」とかエンターテイメント極右アクションが流行っていた、その中でまっとうな反戦映画といわれたのが本作、中学生の時に見て、リアルやなあ、と思ったが、地味やん、誰がええもんかよく分からん、というチューボーらしい感想を持った。
それからもう十数年、また戦争が始まった。そんな中でまたこの映画を見てみようと思った、それは「映画秘宝」の特集での「これは反戦映画ではない」という言葉に影響されたからだ。
オリバーストーンはインテリ崩れで自殺する勇気がなく戦争に参加した、そこでベトナム市民の虐殺レイプ、仲間うちの衝突、ドラッグ、アルコール、R&B、サイケデリックロックと出会う。そしてなにより、敵を撃ち殺す時のアドレナリンの快感に支配され、どんどん激しい戦闘へと身を落としていった。
この映画はその事実を完全映像化したもので反戦映画ではなかった、これが事実だと言わせたかったのだろうか、とにかくリアルで役者達も実際に2週間の訓練をへて撮影にのぞんだ。
で、監督が目指したのは、戦闘で溢れる快感、死ぬと分かってハイになって撃ちまくる快感、そのどうしようもない事実をやっと映像化したかったのだろうね、ラストの爆撃のテンションの高さにはやはり燃えますね。
「ドラゴン危機一髪」
BSでブルースリー特集をしている、初作「燃えよドラゴン」から「危機一髪」、「ドラゴンへの道」の三部作を見てみた、正直、一番好きなのは「危機一髪」だった。
「燃えよドラゴン」はアメリカ資本で作った香港のエキゾテックな魅力を引き出そうとした007シリーズのような出来だった、もろちん主役はブルースリーなのだが、それ以外のキャラのサイドストーリーの方が印象が強く、なんか異国人が香港を見ているようなロードムービーみたいな印象だった。
「ドラゴンへの道」は、後年の傑作で、いやブルースリーが最も輝いていた時期に自分自身の資本で作った傑作で、これは舌をまいた、舞台は香港なのにローマのコロセウムが出て来るラストには今だとわかる
ありえねえって!
さあ、「危機一髪」だ、これは地味だ、ブルースリーは氷工場の中間管理職で、サラリーマンを熱演、ついつい風俗行っちゃったりとほんとに泥くさい香港ムービーになってる、凄いのはナイフを持った悪漢50人に囲まれて、全員を殺してしまう場面、今までの真面目な中間管理職の仮面を捨てて、あちよー!あたた!と謎のかけ声と共に全員死亡、吹き飛んで人型に壁が壊れるなんて素晴らしい演出もあった、これだこれ、これが香港映画だよ。
ラストでは市バスや通行人がノロノロ走る背景をバックに死闘を繰りひろげる、倒された死体のエキストラがいたりいなかったりするのもシュールだ。
そして音楽、「燃えよドラゴン」のソウルを継承してはいるものの、当時はやっていたブログレッシブロックが炸裂、ポリリズムに怪しいシンセが絡み付くサウンドに血まみれの格闘、まるで「ゾンビ」
ラストも本当に血まみれで、これがブルースリーか?と疑問に思うほど。
だけどこれがその後のジャッキーチェンのカンフーアクションの流れに通じる最初の突破口になったと思う、制作はゴールデンハーベストのレイモンドチョウだし。
子供の頃見た時には、氷漬けされた死体が怖くてトラウマになってた、あえて今見たら、それが、死体ではなく氷につけられた生首だったのでさらにショック、香港人はやっぱ大胆だった。
もちろん「への道」の方が傑作なのは分かってるし「死亡遊戯」が最高なのも分かってるけど、やはり個人的にはこの残酷かつベタな「危機一髪」を称したい、危機一髪ってタイトルも嘘吐きなんだけどね。
ドラゴン反体制!ドラゴン無軌道暴走、って名前に変えたいくらい定石のラスト。ああ。
「スターウォーズ・エピソード1」
テレビで見た。
最初のスターウォーズのチープな感じに無理矢理戻している特撮がある意味痛かったな。
話はそれほど気合が入ってなくて適度にダラダラしてていい感じ、ジャバザハットは昔は痩せてたんだとか細かい笑いも入り、そんなに話に金かけてないのが好感触持てた。
後半はCG大活躍、ロボット兵士が大量に出てくる場面はヤッターマンの「今週のドッキリビッキリメカーッ!」やる〜やる〜やる〜ややられるぞきっと!を思い出しました。
あとライトセイバーの色がアイスみたいで美味しそうでした、これは楽しかった、で、楽しく見てたら、みんな楽しそうに戦争してるので、憎くなって楽しめなくなってしまった。
アナキンが天然ボケで敵を倒すのは「インディペンスディ」の酔っぱらい親父と同じだなあとなんかもうしらけてどうでもよくなって、最後の方はもう、テレビ消しました、楽しかったなあ、途中までは。
スターウォーズ、難しいです、よく分かりません。銀英伝みたいにして欲しい。
「天国の口、終わりの楽園」
メキシコを舞台とした青春映画。
青春は一度しかない、そしてそれが青春だとは当事者は気付かない、そんな切ない原則を守った正当派の、もう俺が許す、正当の青春ロードムービーの傑作だ。
偶然出会ったブルジョア青年と、その友人の車を持ってるだけの普通の青年、そしてスペインからメキシコに嫁いで来た納得しない人生を歩んで来た人妻、その3人のもう痛々しいほど輝かしい切ない旅の記録、最高だ、何が最高かは見てくれとしか言い様が無い。
「天国の口」という架空のビーチが存在する、というより、ただ年上の女性と一緒にいたいだけで旅をはじめた若者と、言えないけどある決着をつけに来た人妻、人妻って言い方が駄目だ、一方的に結婚させられて異国にいる女性だ、その三人の思惑、いや、もう言う、性欲がめちゃくちゃに交差する、それでも、それでもさ、なんかなんとなく直っていく、その様の緊張感と美しさに感動。
ここでネタばらし出来ないのが辛いけど、生きるって事ってやっぱ嘘はつけないよね、嘘をつかないと生きていけないよね、特に結婚とかさ、好きでも無い男と結婚して見知らぬ土地にいてさ、でも、それを捨てるって事も考えられないかな?
本当の楽園なんて無い、でも、自分がいやすい場所を目指して旅する、それは誰にもとめられない。
ラスト、もう会う事も無いだろうと言う男達の静かな絶望にまた乾杯、それでいいのよ、本気で愛したら、もう2度と会えなくなるのは当たり前だ、それでも愛しているのだからしかたない。
男達は無言で一生の恋をしずめる、女性は自分のいきたい場所に行き、なにもかも自由にそして死ぬ。
フランザッパのインストが念仏のように響く、人は生まれ自由に死ぬ、ザッパのように。
僕もそんな自由に生きれたら、なんて思った。
「雨上り駅で」
アーシアアルジェント観たさに貸りた、物語は痴呆の始まった元大学教授のおじいさんを尾行するアーシアとのロードムービー。撮影はタルコフスキーの作品を手掛けた人だというから、とにかく風景が冴えている、本当に素朴な田舎を素朴に写し出しているし、郊外の高級マンションの前になぜか羊がいっぱいいるという画面のシュールさとかちょっと凡人では思いつかないと思う。
そして奔放なキャラのアーシアの行動、演技というよりその身体の動き、いや身体のラインの美しさに目は釘付けだ、ダリオアルジェントはあんなきわどい映画を作りあげただけでなく、こんなきわどい肉体の女性をも創造してしまったのだからやはり敬服せざるをえない。
痴呆の教授の意味不明な行動がなんとなくムッシュユロを模倣しているようで可笑しい、なかなか出会わなかったり、唐突に出会ったり、そんな二人のまわりの人間もささやかな邂逅をしたりと。観てて、人と人の縁というものの大切さを認識さぜるえない、多少強引なデウスメキスマキナかと思うのだけど、ラストのほとんど真っ暗の画面なのにかすかに瞳に光のようなものが見えた瞬間は鳥肌たった。
でも地味なんだけど。
この作品があったからこそアーシアは国境を越えて自由に恋愛するモデルを描いた「スカーレットディーバ」が作れたのではないのかと深読みできたりと、いろいろ楽しい佳作です。
「アルタードステイツ」
ケンラッセルの最高傑作。DVDで1500円で購入。
とにかくケンラッセルは強烈、幻覚を忠実に映像化する希有の監督としてイギリスでも「トミー」で、もうええかげんして!と怒るくらい強烈というかえげつないドラッグムービーを作った、「トミー」の続編の「リストマニア」もぼかしだらけのキチガイムービーだし、そんな暴走監督をアメリカに招いて、うまくSF映画の衣を着せて完成したのが本作。
とにかくまずいよ、主人公はどっからどう見てもビートニク作家ウイリアムパロウズだし、バロウズと同じく南米に行って幻覚きのこ食べちゃって、物凄いトリップするし。こんなものを子供に見せていいのか?
こんな危険なものを子供の頃に見てしまったために、僕とかは人生狂ったけどな。
映画は後半に行くと70年代を継承したホラーへとシフトする、それもまたたまらない。80年代に突入した直後でビデオエフェクトも多用されて、突き抜けようとする感じが出ている、これはケンラッセルというかボブバラバンの影響が大きいのではないか、アメリカンニューシネマからいた役者で、スピルバーグとも同期でお互い協力してきた才人だ。
ケーブルがうねるエフェクトは「アキラ」だし、身体がボコボコ膨らむのは「ビデオドローム」か、ずいぶんその後に影響を与えてる作品だ。ラストはまんまアーハの「テイクオンミー」のビデオに引用されている、直接MTVに影響を与えた映画でもある、それほど強烈だった。
やっぱ凄いな、「裸のランチ」の描写を映像化できた唯一の映画だと思う、クローネンバーグの「裸のランチ」にはこのぶち切れたトリップシーンが一切無い、地味すぎ。
ただ見てて、野沢なちの吹き替えが強烈だったので、ウイリアムハートの淡々とした声にはちょっとがっかり、DVDには当時の吹き替えも是非収録して欲しいな。
「スリープレス」
ダリオアルジェント新作来た!
出だしから深夜で雨でもう「サスペリア」気分。密室の地下鉄の中で気合はいりまくって良質サスペンスが炸裂。本気に怖い、本家ゴブリンのホラーロックがもう、怖い、怖いと同時にかっこいい、気持ちいい、これでなくてはと安心する。
で、結局、何が「スリープレス」なのかも分からないまま映画は終わったのだけど、アルジェント節がしみ込んでいて全然文句ないです、この破綻具合がまたたまらない。
構造はデビュー作「喜びの毒牙」に似てるかも、ていうか、一環してワンパターンなんだけど、今回も謎を解く時の緊張感の無さと、殺戮場面の気合の入り方のバランスがまるで対照的で、もうそこがたまらなかった、「羊たちの沈黙」も意識してたのかな。
でも、本当に映画みて怖いって本気で思ったのは久しぶりで、ダリオ監督の実力にはもう納得するしかないし、今後ももっと怖い、怖い、それでいて納得のいかない傑作を期待してます、当人もそれしか出来ないんだろうし、ダリオとゴブリンある限り僕は待ってますよ。
「ゴースト・オブ・マーズ」
ジョンカーペンター、どんな映画をとってもこじんまりとして90分くらいのB級SFサスペンスアクション(しかも地味)になってしまう不思議な監督、今回はその集大成というべき破綻の美学を感じました、OPから今どきミニチュアの火星の特急、ミニマルな音楽、古臭いワイプ処理と波状攻撃で撃沈。
火星に蘇った吸血鬼とゾンビを合体させたようら無理のある「死霊」にとりつかれた市民が全身にタトゥ、闘争本能まるだしで手裏剣なげて人の首を軽くCGで飛ばしては串刺しにしているというカーペンターワールド、そこへラッパーのアイスTやらパムグリアーがかかわって、あっち行ったりこっち来たり、もう監督自身なにも考えてない、とにかくアンスラックスのロックが響いて、エキストラがワーワー言って、銃撃戦があればいいと、もはやお祭り状態、それでも地味、なんでか地味、そんなもう手におえない領域の映画になってます、そこが好きなんです。
物語もキャラも何も納得できないのですが、とにかく画面から呪文のようにカーペンター臭が漂い、それが全てをねじ伏せて納得させてます、ラストも酷い、大規模な戦闘があるのに、それはわーわーって音声だけで省略されていて、それで「来たぜ!」はないだろう、馬鹿にしてるのか、素晴らしい、その脱力感が素晴らしい、なぜか半笑いで拍手してしまったラスト。
こいつは凄ぇぜ!
「隈歌」
ロックンローラー内田祐也主演、監督は神代辰巳(くましろと読みます)、日本では珍しいロックムービーになってます。
オープニングは和製セックスピストルズことアナーキーのパンキッシュなライブでスタート、かっこいい!対照的に内田祐也ふんするロック歌手ジョージは駄目駄目人間で格好わるい。
家庭があるのにヒモがいたり、ヒモが入院してる部屋で看護婦さんをくどいたりする、それが
「ぜひ結婚を前提としないおつき合いを、お願いしたいのですが」
という台詞なんで笑える。
その後も客がいない店頭ライブをする、キャバレーで歌ってて客に「与作を歌え!」とヤジられ乱闘、しかも弱い、駄目である。
ライブでもバックバンドの演奏するイントロはめちゃくちゃかっこいいのに、内田の歌が入ると台なしになってしまう、解散前のサディスティックミカバンドのようだ。
そんなよたった展開なのに不思議な人間関係を生み出していくのが脚本のみせどころか、ヒモと看護婦さんが関係もったり、マネージャーの安岡力也が内田と精神的ホモだったり、あっちいったりこっちいったり、駄目人間のもつれあいがいい、それを決して見おろすのではなく同じ視線で描いている、その場の温度や湿度まで感じさせるカメラも秀逸。
当然オチも痛かったです。
「ディスタンス」
まさに日本映画。
宗教団体による無差別殺人事件、その首謀者達と親しかった5名が、年に一回、その宗教団体の本部のある山奥に集まる事になっている。そんな強引な設定を自然に見せていくのがさすが。
ここが笑うのだが、突然自動車を盗まれてしまう(その説明も解決もまるで無い)、途方にくれる5人と元教団にいた男が合流し、教団の建物で夜をあかす事態になってしまう、これがおおまかなストーリー。
しかし、自然光のみの撮影でリアルなのだが誰が誰だかまったく分からない、物語はしだいに各人の過去を重層的に写し出し「ああ、こいつがこれでこうなんだ」と、見ている側が勝手に想像して物語を組み立ててしまう、つまり、あまりに説明不足で、その一部しか見せない作りなので、見ている方は理解しようと懸命になってしまうのだ、それがこの監督のしたたかさというか、上手さだ。
作り手には完全に分かっている物語を小出しに見せる、しかも、その全貌はやっぱり見せていない、善人も悪人も出てこない、見る人を選ぶ映画だ。
ディスタンスとは、距離という意味だが、それは世間と自分との距離、他人と自分との思想の距離、恋人との恋愛の距離といろいろととれる、「僕たちは被害者なのか、加害者なのか?」というタイトルも意味深い、自分と最も親しい人が殺人をした時、自分は本当にその人を分かっていたのか?そんな命題を叩き付けられる。
でも、あんまりにも説明不足で画面が真っ暗で退屈で、ほんとに怒るよ、結局最後の最後まで意味が分からない、主人公が誰だったのかも分からない、ラストの意味も分からない、それは分からなくて当たり前なのかもしれない。
ただ画面は静かで綺麗だった、リアルで引き込まれた、面白かったかと言うと、面白いとは言えなかった、でも、これが日本映画だと思った、地味で寡黙で必要以上の事はしない、その美学。
「ヴァージンハンド」
「赤い薔薇ソース伝説」凄いタイトル、そして本当に凄いぶっ飛んだ映画だった、その監督によるアメリカとの合作にしてウディアレンを主役に迎えた新作。
残念ながらとにかくラブが大爆発する「赤い薔薇」は超えられる訳が無い、もっと落ち着いたコメディになってた、ウディアレンが浮気ばかりする妻を愛するあまりに殺してバラバラにして埋めてしまう、ところがその右手だけがメキシコのとある町で拾われて、次々と奇跡を起こす。という話。
もう設定だけで滅茶苦茶でラテンの血が騒ぐのだが、映画自体は落ち着いている、ただその奇跡が煩悩の塊というか、ボインになりたいだの、生殖器が1メートルくらいに延びるだの、もう生命力溢れるくらいスケベなのだ、スケベという言葉も古いなあ、性欲に忠実というのがいいかな、そこがラテンの血なのだな。
ただし、ウディアレンはやはりウディアレンで、もうすっかり初老になっているのに、あいかわらず自信ない声でいじめられてインテリ気取って、チャーリーブラウンのまんまで、そこが凄く素敵だった。
アメリカ資本でもアメリカでは絶対に作れない熱く馬鹿らしくどうしようもないラテンムービーになってて、やっぱり好きだなあ、自分に絶対無いものを持っているのだもの、笑いつつも憧れる。
ケロッと悪人をみんなで殺してしまうのもね。
ゴスペルを歌う黒人ロックンローラー(?)みたいな人が言う格言が素晴らしい
「体裁か、魂か?どちらを取るかだ、2つ同時には取れないぞ」
重くて不思議に心に残る言葉だ。
「ズーランダー」
ベンスティーラーの主演監督制作脚本の本当に大馬鹿で笑える映画。
背が低くて顔もコメディフェイスのベンスティラーが、強引に超売れっ子モデル、ズーランダーを怪演する、その徹底ぶりがことごとく可笑しい、なぜか80年代なファッション、マヌケな決め顔「ブルースティール」(他にも名前があるが顔は一緒)、日本のコギャルに追いかけられてるビデオとか、CGで人魚になってるCM(「人魚じゃなくて人男だ!」と言い張る)とか、ある意味天才的なセンスで壊れたギャグが続く、もう最高。
ライバルのこれまたホワイトトラッシュなモデルとのウォーク対決の息せまる馬鹿らしさ、なぜかジャッジはデビットボウイという無駄な豪華さ、犯人役の人の経歴が元フランキーゴーズトゥハリウッドのキーボードで、「リラックス」がヒットする直前にクビとか、細かいし、ツボつくわ。
ズーランダーが開発中でなかなか見せない新しい決め顔「マグナム」がラストに炸裂するのだが、ここ、映画館で見てたら観客悶絶死するほど笑ったんだろうなあ。
ベンスティーラー、「リアリティバイツ」なる痛ーい青春映画の監督として天才少年などと言われて登場したのに、10年後には天才コメディアンに成ってるとは夢にも思わなかっただろうなあ、人生いろいろだ、「ロイヤルテネンバウムス」のジャージ親子といい「メリーに首ったけ」といい、なんかいつもキャラだ立って不思議な存在感がある。
ビデオの最後にはズーランダー一言ギャグがたくさん入ってて、それも笑えました。
「彗星まち」
神代辰巳の「恋人達は濡れた」や岡崎京子の「リバーズエッジ」を想起する傑作。
DVDにはそんな解説が書いてあって、かなり期待して見たのだが、どうも僕が思っていたものとは違っていた。確かに役者に遊ばせる演出は神代っぽいし、河原で死体を見つけるという設定は「リバーズエッジ」のまんまだ、ただ、空気が薄い、緊張感が無い、監督が誰でなにを言いたいのかというテーマが見えない、つまり軽いドラマになっている。その解脱した空気で「リバーズエッジ」な展開になるのだから、どうも見てて歯車が噛み合ってないように思えた。
無気力な世代、それが描きたかったのかな。話自体はけっこうドロドロしてて痛々しいのに、その痛みがまるで伝わって来ない、そういう意味では不思議な作品。
特典を見て納得言ったのだが、これがデビューで素人ばかり集めてやったそうで、監督は女の子役の娘に本気で恋愛をして、それを画面に映したかったと語っている、でも恋にはならなかったのだ、熱量の低さはそこにあった。
そしてもう一つの特典の学生時代の8ミリ作品であるが、こちらは本編とがらりと変わって、物凄い生々しい、女の子を追いかけまわし、身体を傷つけ、喧嘩になるは、ガラスは割るは、青春のフラストレーションがそのまま映画になってて、これには驚いた。
やはり恋をしないと映画は撮れないという事でしょう。
「拳神」
かつてのジャッキーチェンの流れを汲む王道香港映画、いや香港は返還されたので中国映画か。
とにかくCGが凄い、いきなり「フィフスエレメント」みたいな未来都市、空中を飛ぶスクーターに乗って日本のゲームのキャラみたいな若者たちが、そして演出は日本のアニメ風、そして伝統のクンフー、出だしからグイグイと引き込まれる、まさに映画を作るのが楽しくて楽しくてしかたが無い!そんな作り手の感情が画面に焼き付いているようだ。
話もベタでお約束のギャグから、強引な人情話へ、そして親子の因縁、で、物凄く分りやすい悪役がいて、みんなでそいつを倒して終わり、分りやす過ぎる!まるでディズニーアニメのようだ、でもアメリカの映画と本作は空気がまるで違う、システマティックに工場で車を作るように映画を作っているアメ映画には、さっき言った、作り手の情熱が無い、だから見ていてもそらぞらしい、もちろんいい作品もあるが、例えばスパイダーマンみたいにCGとドラマが完全に分離しているとどうしても違和感がある、ところが本作ではCGと分離はしていて違和感もあるのに、それを上回る作り手の圧倒的な熱意、モチベーション、これが全てを強引に1つにまとめてしまっている、これこそが映画のあるべき姿だと思う。
ついつい比較しがちになってしまうけど、日本映画にはこの勢いが無い、思いっきりお金かけて作ったのが去年の「リターナー」だっけ、あの程度だ、しかも主役は日本人では無いし、思うのだが、映画に限らず、もう日本には勢いが無いと思う、よくよく考えたら日本映画の大作って中国や韓国との合作ばかりだ、つまり近隣の国々と助け合わないと生き残れない、そう思ってしんみりと…、それなのに小泉は靖国に行くし…。
映画からはずれてしまった、そうこれ、サモハンキンポーとユンピョウが出てる、二人ともいい中年になってた、サモハンはブリキのシルクハットかぶってて笑える、未来ものなのでそれらしいかっこなのだが、いかんせんセンスが無い、そう中国人の技術と熱意は素晴らしいが絶対にあか抜けない、かっこつけてる場面が同時にギャグになる、そこが大好きなんだ。
「ブレイクファースト・オブ・チヤンピオンズ」
原作はカートヴォネガットJr、監督はアランルドルフ、音楽はマーティンデニー、で主演はなぜかブルースウイリス、もはや異常な組み合わせ。
どんな映画だ!と見てみたくなるじゃないか、見ました、感想→辛かった。
しかしこの企画は凄いと思う、結果的には駄作にはなったけど、こんな滅茶苦茶な映画めったに出てこない、その意味では素晴らしい。
出てくる人間が全員神経症や妄想癖があり、誰もまともな人間が出てこないのだ、意味の分からない会話が延々と続く、理解できないので笑えない、なんだか分からない、シュールというよりはもっと重い感じだ、知的障害者の病院にいるような、そう「カッコーの巣の上で」の病院みたいな感じかな、面白く無い「ツインピークス」かも。
女装マニアのニックノルティとか、虚言癖のオマーエプスとか、凄い人にひどい役をやらせてる、ブルースウイリスもハゲ隠すために片側だけ髪のばしてて気持ち悪い、ウサギの靴はいてオルガンを弾く息子だのテレビばかり見て電波な人になった妻とか、もうオンパレード。
原作者の分身らしきキルゴアトラウト(かっこいい名前)という作家が街にやって来て、完璧に狂ってしまったブルースウイリス扮するカリスマ自動車販売屋(これも凄い)に救いの言葉を言う。
全ての人間は機械であるという妄想にとりつかれてしまった彼に対して
「君は続ける機械だ、だから生き続けなければいけない、死ぬまで最高に生きる、それが人生だ」
この言葉で修復不可能の狂った世界が一瞬にしてまともな世界になる。失われたかつての架空の楽園「ハワイ」のイメージが全編に漂う、そしてマーチンデニーのエキゾな音楽、映画内の世界観は唯一無二の特殊さを持っている。
アランルドルフ、恐ろしく綺麗な画面と特殊な世界観、意味が分からないストーリー、よく考えたら昔からずっとその傾向はあった、「トラブル・イン・マインド」では雨がやまない街「レインシティ」が舞台だった、変わってないんだなあ、いやむしろ極まって来たかも。
あ、ローズウォーターさんもちゃんと登場するのでヴォネガットファンは一見の価値あり。
「ノーマンズランド」
ボスニアとセルビアの最前線の塹壕に、敵同士がとり残されて立ち往生という事態に、しかももう一人の兵士の下に地雷があってあおむけのまま動けない。
このシチェーションが見事、裸でシャツふって助けを求めたら、敵同士だから両方の軍隊から砲撃受けたり、国連軍がなかなか動けない理由は上官が秘書とチェスやってて忙しいというものだったり、しばらく見て、これコメディ映画だったのか!と気付く、空気はシリアスなのに突然のんきな笑いが入る不思議な映画、テーマが戦争だけにあまり露骨に笑うのも不謹慎だし、これを延々と重い空気のまま緊張感だけで突き通すのも見ててげんなりして来る。
ただここまでのシチェーションを立てたのは凄いけど、その後のドラマがあまり発展してない、せっかくの設定を活かしきれてない、あっけないラストも僕には物足りなかった、一日が終わるようになにげなく人生も終わるとでもいいたかったのかな、確かに感動的なラストを求め過ぎたのかも知れない。
しかし、ちゃんとした戦争映画だった、このまえ見た「ブラックホークダウン」なんかとは比較にならない、あれはひどかった、アメリカは幼稚な戦争映画を作るな!と言いたくなる、そして幼稚な戦争をするな!とも。
「青春のマンハッタン」
なんかマイケルJフォックスが出そうなバブリーなタイトルだけど、これ実はブライアン・デ・パルマのデビュー作、69年制作、まだ二十歳くらいのデニーロが出てる。
原題は「creetings」で、出だしからビートルズみたいなギターサウンドでクリーティンクリーティンって歌われる、とにかく音楽がやたらいい、チルドレン・オブ・パラダイスというバンドが音楽だけど、なんか映画の為に作られたバンドっぽい、エリックカズという人が中心になってるのだが、エリックカズって誰だっけかな、どこかで聞いた名前。
で、デパルマさんのあの編集とか意味ありげな画面とかはまだぜんぜん出て来ない、まだ何をやりたいのか模索している感じ、関係ない画面で延々とナレーションが続くのはゴダール調、そして映画内でアントニオーニの「欲望」をやたらリスペクトしてる、でもやはりアメリカ映画、カラっとしてて馬鹿らしい。
本屋での狂った音楽の使い方が凄い、これ夜中に放送してて「なにごとだ!」と思った記憶がある、唐突でシュールで、結局良く分からない、まあそれが青春といえば青春なのだけど。
「リトルニッキー」
アメリカにおける中学生のメタル文化は日本のアニメと同じなんだなと思い知らされた映画。
でもはっきり面白くないし駄作だった、例えば、「魔力でコーラをペプシに変える」とか聞くと馬鹿馬鹿しくて面白そうだけど、演出的にはあんまり笑えなかった、逆にこれ中学生男子は笑うだろうな、アメリカのメタル好きの中学生男子って、メタルの強さとかかっこよさにあこがれて聞いてるだけで本人はヘタレという図式が多い、この映画も優しいだけのヘタレ悪魔がメタル好きで、父親のサタンに
「パパ、メタルのベストテープが完成しそうだよ、これは最高傑作になると思うよ」
とか言うくだりは痛いほど分かる。
でも面白くは無い、僕が大人になってしまったから笑えなくなってしまったとも思う、けど演出が稚拙なのもあるし、しゃべる犬の字幕が関西弁なのも痛かった、字幕の人のセンスももう一つかもしれない。
でもこの映画の分脈は面白い、ほら、「ビルとテッド」「ウェインズワールド」「サウスパーク」「ドグマ」とアメリカのヘタレメタル映画ってなんか決して無くならない、伝統的に続いていく、メタルを半分馬鹿にしつつ同時にそれがリスペクトであるという点も興味深い。
ヘタレメタルの最高峰「ウェインズワールド」の「天国への階段、試し弾き禁止」、とか、「アリスクーパー、実はインテリだった」とか、ネタが細かくでマニアックで一般の人には通じないと思う、そこが好きだ。本作のオジーオズボーンやシカゴのネタも細かいくて好きだ。全体主義、おおざっぱの帝国アメリカでも、こういう中学生男子映画は無くならないで欲しい、彼らこそがアメリカを変革する唯一の希望、なんて思う。
しかし、俺、アメリカ人でなくて本当によかったよ。(冷や汗)
「スーパーマン」
BSでやってますよ、スーパーマン特集。久しぶりに見た、面白かった、我が家にビデオが来て最初に録画したのがこの映画だ、小学生の時だ、もう何回も何回も見た、面白かった、大人になって見ても充分面白い、確かに特撮の場面では今のCGには及ばないのだけども、だけど僕は言いたい、CGでこのミニチュアの感じだしてみろ!と。
クリプトンの崩壊から地球にスーパーマンが降り立つ場面は、「2001年」をあきらかに意識したサイケデリックなエフェクトの連続でゾクゾクする、ほんとCGでこれ再現して見ろよ!と言いたくなるほど素晴らしいアナログサイケエフェクト、もう気が遠くなりそう。
ドラマ部分については言う事はあまり無いのだが、これ監督リチャードドナーだ、今としては老舗監督だけど、当時、そう70年代には「オーメン」という素晴らしいオカルトホラーを作った監督だ、だからやはりその風格が残ってる、事故に巻き込まれる女性記者の描写など、もう容赦なく残酷に死んでいく、これだ、今の映画に無いのはこの無常感なのだ。
同時期にビデオに録画した「スターウォーズ」に夢中になれなかったのは、この人間の本質の残酷さが無かったからだ、生々しくないからだ、確かにジョンウイリアムスの音楽は同等に素晴らしいけど、「スターウォーズ」はそれが無いからコなかったんだ。
子供の僕は「スーパーマン」の中の「オーメン」な部分に反応して興奮していた、人は情けなく愛し情けなく死ぬ、無常でどうしようもない、その痛みが画面で出ていた、だからこそ熱くなれたのだと思う。
まあ、そんなにどうとも言う事は無いけど、やっぱ、この時代のSFX(懐かしい)ムービーを見ると無条件にワクワクしてしまうのです。
「ギターはもう聞こえない」
フィリップガレルと言えば70年代にニコと結婚し、ジョンとヨーコみたいにラブラブ全裸で、愛と憎しみの、そして自意識過剰かつ自己完結な私映画を作った人という印象が強い。
いや、実際ニコと砂漠で全裸になったり、王子様のカッコしたり、もーう見てて「お前は阿呆か!」と一喝したくなるくらいの増長ぶりが逆に衝撃だったのだが、もうあれはかんべんして欲しいと、ガレルの映画は敬遠していた。
そしてガレルとニコは離婚し、時代が流れ、ニコはイビサ島で死亡、ガレルも鳴かず飛ばずのヌーベルバーグ作家として低迷していた、そんなガレルがニコの訃報を聞き、ニコと別れそして亡くなるまでの間、自分が何をしていたのか記録しようとまた私映画を作った、それが今作。
これがちゃんと風格ある恋愛映画になっているのが面白い、かつての若気の至りはどこへやら、嫌になるくらいの自意識は消え去り、客観的に自分と自分を取り巻く世界を認識している、この成長は素晴らしい、そして脚本はあくまで私的なものでこまかい説明などは一切無い、だからはっきり言ってよく分からない部分もあるのだが、それを気にさせないのがいい、それでいて姿勢は至って謙虚だ。
なんとなくでいいから分かって欲しい、それだけでいい。そんな気持ちが汲み取れる、そうかここまで来たのか、そういえばこの映画、渚十吾さんも褒めてたもんな。
日本で言えば宮谷一彦とか阿部慎一とかに近い感じ。いい男は愛と恥を語る。
「とらばいゆ」
「アベックモンマリ」の大谷健太郎の新作、これは小津安二郎の「お茶漬けの味」のリメイクなんですか?小津もモダニストで軽妙洒脱だったけど、これも現代的でリアルで軽くて馬鹿で呆れて笑える恋愛映画。
前作もそうだったけど、わがままでキツい女と優しくて骨の無い男の恋愛の紆余曲折を描いている、たぷん監督自身の経験と性癖から現れているのだろう、それにしても分かる、分かり過ぎる。
わがまま女はプライドがあり甘えたいのに甘えられない、だから感情的になり一歩的に攻撃してしまう、骨無し男は、相手を理解したいが為に常に受動的で冷静で適格で感情的にならない、だから相手は増長していく、それを止められない、しばしば男は普段隠していた憎しみを見せる、つまりはキレるのだ、すると女の方は突然シュンとしてしまう、だがそれは一瞬で、再び二人は漫才のような愛憎劇に戻る。
これは見てて本当にリアルで面白い、「不思議の海のナディア」のジャンとナディアといったら分かるかな、そういう関係は実は強力で長続きする、どんな困難も乗り越える、事実、映画のラストでは困難を軽く笑い飛ばして終わっている。
しかし、塚本晋也って凄い役者として上手いね、もう変な映画撮らなくていいから、この路線で行って欲しいと思った。
「ロッカーズ」
フッチャカフッチャカのレゲエムービー。ジャマイカのレゲエバンドのドラマーを主人公に、その周辺の愛すべきロクデナシ達の活躍(活躍はしてませんが)を描いた脱力コメディ、ほんとに呑気に楽しめる。
ヒモ状態のドラマーが、友達を上手くまるめこんで金を貸りてバイクを購入、そしてレコードの行商を始めるがバイクは盗まれてしまう、彼の人柄から仲間達が結託してバイクを取りかえすまでの物語。
ジャマイカの人達の会話が独特で楽しい、「マッタリ」という言葉が一番似合うだろうか、みんなうるさいのだけど感情的にはならない、バイクを盗まれて腹が立ったという場面もあんまり怒っている雰囲気は無い、いいかげんでのんびりしてて無神経で生命力に溢れてる、そんな民族性に好感が持てる。
バイクを盗まれる場面でかかるのが「ポリスとコソ泥」というのが笑える、あと、導師の役でリーペリーが出てくる、これが見てて不安になるくらい天然だった。
あとファッション、カラーリングが妙にオシャレ、黒い肌との組み合わせが最高なシンプルな服装、いいなあ。レゲエってアフリカから渡ってゴスペルを経由して来たのも見てて解るな、実は占領や支配といった過去を持つ国だけど、その陰惨な過去を笑い飛ばすくらいレゲエは強力な音楽だ。
ピータートッシュとか有名なシンガーも出てる、レゲエはよく知らないんだけどね。
「π」
「レクイエムフォードリーム」のアノロフォスキーのデビュー作。
「レクイエム…」は本当に衝撃だった、口あんぐりで頭かかえて映画館を出た、このデビュー作でもその萌芽ともいえる神経症的な描写が満載だ、狭い部屋だのドラッグだの幻覚だの黒板に爪を立てるような効果音、そして不安を煽り立てるドラムンベース。
主人公が天才で、とんでもない論理をそれらしい口調と緊張感の中で説明されると、なんか納得してしまうのが面白い、「エヴァ」っぽいというか、ああいう開いたオタク感覚だ、だからみんな騙された、いや上手く乗せられて観てしまい、サンダンスで賞まで取ってしまった。
ところでこの映画ってNY郊外の大学生連中が中心となって作ったのだけど、てっきりドイツかどっかのインディーズムービーと思ってた、アメリカらしい気迫が一切ない、確かに街の看板には英語が書いてあるのだけど、北欧のどこかの架空の都市に見えてしまう、ここまで閉鎖された完璧な空間を作るには才能が必要だと思う、僕は評価する。
モノクロの画面とグロテスクな造型、シュールな悪夢というと、どうしても「イレイザーヘッド」を思い出してしまう、事実、この2作は似ている、どちらもデビュー作であり個人的趣味が丸出しで自主制作で、それでいて、ギリギリの部分でマニアックなファンに評価されている。
デビュー作に独特な二度と取れない自意識過剰な感じが新鮮だったのだ、「レクイエム」ではもちろん自意識は拡散されてしまっていて、だからこれより多くの人々に指示されたのだと思う、微妙だな、で、僕が考えるのはこの監督のこの後だ、こんだけやったら尽きてしまうのではないかと思う、青春というものの全てを投げ打った感がある、次作に本当に期待かな。もちろん駄目だとしてもそれはしかたないと思う、それが本当の映像作家の在り方だと思う。
「バーバー」
コーエン兄弟の寡黙かつ地味な作品。
いつになくオフビートでギャグも無い、シリアスに淡々とモノクロの画面で例によって田舎の三面記事みたいな話を綴っていく、「ファーゴ」もそうだった、よくあるどうでもいい話にドラマツルギーを無理矢理持ち込んで結果なぜか熱い作品になってしまう、あれはなんなんだろうな。
今回は熱くは無いです、主人公は熱量ゼロ、主人公は愚か者でピュアという法則を始めて破ったのかも知れない、金に目が眩んで脅迫をしてしまい、そこから例の雪だるまが始まる、絶対に捕まると思っていてもとんでもない強引に事態は別の方向へと、雪だるまは思ってもみない方向へ転がる、そこがコーエン節の見せどころだ、今回も笑いは無いにしろ、とりとめもないトリックスターが突然現れては消えて行く。
人生なんて幸せなんてそんなもんよと言うばかりにエンディングに行き着くのだが、だからと言って別に何の感情も湧かない、「好きな人と結婚って出来ないんだなあ」、とか、「純愛すると破滅するんだなあ」、とか、ペシミスティックな制作者の視線は感じる事が出来る、しかしカタルシスが無いのだ。
救いも熱量も無いといえば「バートンフィンク」があった、あの空気に近い、何がしたいのか分からないまま巻き込まれてしまい、結果も何も出ないという荒れ果てたエンディング、あの無常感はアメリカという国に対するものなのか、人間という存在に対するものなのか、ある意味、無常が一番過激な批判であると思う。
コーエンさんたちって50年代が好きなんだね、今回も古き良き?時代を復活させていて、そこがなんとなく現代人からみたら和めるかナ。
「怪傑ブラックタイガー」
台湾ムービー、日本の日活の無国籍アクションをパロディにしたという事だけど、どうだ、これは狙ってるのか、そのままなのか?
確かにオープニングの時代的なクレジットと逆に金かけた銃撃シーンのギャップは笑いだと思った、でも笑えないんだ、あまりにも色彩感覚が異常過ぎる、これはわざとなのだろうか?
スタジオでバックが吉本みたいな絵で、しかも声もスタジオで撮ってるので独特のあのエコーになってたりして、それをギャグでやってるのか、その意図が分からない、観ててそればっかり気になった。
それにしても台湾の色彩は強烈だ、建物が全て桃色で道が緑色だった、これは本当にそうなんだろうか、観てて頭が痛くなって来る、車の内装はドス黒い赤だし、色彩の暴力だ、多分台湾の色彩は香港よりもインドに近いのでは無いかと思った、ちょっと耐えられない。
昔、台湾のウルトラマン「ハヌマーン」を観て、その狂った宗教感覚と残酷な描写でトラウマをぶち込まれていたのだけど、やっぱ台湾はキツいわ、食べ物は世界一旨いけど。
銃撃シーンもとにかく残酷、気持ち悪い、ストーリーは日本でもよくあるやつだけど、キャラが突然狂ったりしてもう見てて見るのが馬鹿らしくなる、脳がチクチクして来る、かんべんして下さい。
ただラストの曲はよかった、最近台湾の音楽が気になってるのだけど、なんか音楽はいいですよ、透明でソウルフル。
「モデルカップル」
パリのアメリカ人、ウイリアムクラインの映画。
本業は写真家でデザイナーでもあり映画監督でもある、多才過ぎて腹が立つくらいだ。数年前にピチカートが引用していた映画「ミスターフリーダム」もこの人だ。
原色を使った大胆な色彩センスは素晴らしい、ゴダールの様だ、実際この二人は60年代には影響を与えあっていたと思う、その後の左翼オムニバス映画「ベトナムから遠く離れて」にも参加しているし。
そういえば「地下鉄のザジ」の美術もクラインだ、とにかく60年代のフランスのオシャレをひも解けば必ず彼に当たる。
この映画もどこをどうとってみてもポストカードに出来るくらいの素晴らしい美術センス、アニエスベーの衣裳にイームスのチェア、「僕の伯父さん」に出てきたようなハイパーモダンなキッチン、見ているだけで楽しくなる。
物語も先取りしている、未来の生活を予想した部屋でカップルが生活する、それをテレビで全国中継するというもの、「トゥルーマンショー」とか「電波少年」のアイデアを75年にすでに出していたのだ。
と、ここまでは褒めたんだけど、センスはそりゃあ凄いさ、だけどドラマツルギーというものが微塵も存在していない、キャラが薄くて誰にも感情移入できない、文明社会やメディアに対する痛烈な皮肉というテーマも皮肉になっていない、笑えない、演出が稚拙過ぎるのだ。
そういう意味では先日観た「ウィークエンド」の欠陥と似ている気がする、コメディのつもりが笑えないのでただの嫌な映画になっている、カタルシスもなかったなあ。
DVDで持ってて、女の子が来た時にチャプターで見せて
「ここ、ほら凄いオシャレ」
「ホントダー」
というようなアイテムだと割り切って考えたら、それは強力な武器になると思う。
「ウィークエンド」
ゴダール、67年の作品。
ゴダールといえば「コジャレた服着た男女が意味のない会話を延々したあげく唐突に終わる」というイメージなんですが、この映画に関しては雰囲気違う気がしてた、雑誌でも「飛行機と車がぶつかって爆発している前を走って逃げる男女」という場面が載っていて、どんな映画だ、これは!!と思った事がある。
実は期待していたのだけど、「面白くはないだろうけど凄い映画だろうな」と予想は立てていた、予想はまあ当たってた。面白いというより気持ち悪い、はっきり言って不快だった、だけど衝撃度は予想を超えていた。
ネットで調べてもやはり賛否両論だった、完全否定する人と、良く分からないけどかっこいいんじゃないって人。滝本誠とかは褒めていた、リアルタイムで見てる人はまたなにか違うんだろうとも思う。僕も手放しでこれを褒めてる人はどうかと思うが、これを認めなられない人ももっとどうかと思う。
これは車を破壊する映画で、人も破壊して、モラルも破壊して、映画自体も破壊して、観客の心すら破壊してしまう、それがコンセプトだ。これだけ強引に力技でめちゃくちゃに破綻した映画もないだろう、最初に「鉄屑の中で見つかった映画」と出るのだが、まさにズタボロのジャンクのような手触りの映画だった、全く嫌になる。
そのジャンクの中にも素晴らしい場面がいくつかある、一番素晴らしいのは主人公夫婦の嫁さんのファッションでしょう、エメラルドブルーのセーターに黄色いマフラー、タイトスカートの下に黒いパンツ、素晴らしい色使い!このころのゴダールの色彩センスは冴えまくっている、実は服は死体からはぎとったものなのだけど女の子が可愛ければ何でも許す。そして有名な渋滞シーン、映画の中で一番ユーモアがあった場面でもある、ジャックタチを思い出したり。
「私の演奏は最低だ」とぼやきながピアノを弾くピアニストの演奏をぼんやり見ている場面、360度パンが2回ある、田舎の広場みたいなところで、虫が飛んでいて夕日で光っているのが綺麗だった。後はドラムの演奏、これは効果的だった、これが無いとしんどかった。音楽も不安なチェンバーサウンドで品の無い物語を哀れに見せていた。
あとはほとんどが不快で気色悪い、みんな狂ってて利己主義でうるさくて血まみれで死んでいく、アリスは火をつけられ、ヒッピーのコミューンでは人肉を喰らい、卵を落として魚を突っ込み、戦争ごっこにあけくれる、ああ書いてるだけで腹が立ってくるくらい不快だ。
そう不快に思わせる事が映画のテーマなんだからしかたないのだが、それでも致命的なのはゴダールの左翼思想だろう、それまでは本人は本気だったのかも知れないが映画では冗談の範疇内に出て来る程度だったのが、これはもうゴダール先生のかたよった思想がこれでもか!これでもか!と延々と語られて嫌になる、まさに逆ゴーマニズム!その後に本当にヒッピー崩れを集めて山奥で左翼映画を作りはじめるのだから、ゴダールの墜落はここから始まった訳だと言える。
正直退屈だけど根底にエスプリがある、独特のユーモアと軽さがある、だからゴダールの映画を見てた、見ていられたと思う、左翼時代のゴダール作品ははっきり言って見てられない。
その後を思うとこの作品、果実が腐る寸前の極上の甘味のような奇跡的な存在じゃないのか、いや、食べながら
「美味しいけど臭うなあ、お腹大丈夫かなあ…」
と思ってるような。
まあほんと凄かったですよ、見終わってみんなゲッソリして帰って行った。
「世界残酷物語」
モンドという言葉を生み出した映画でもあるが、一般的には誰もが聞いた事のある「モアのテーマ」が流れる映画といった方がいいか。「モアのテーマ」と言えばなぜか吹奏楽部が必ずやりたがる不思議なインストだ、「モアのテーマ」って言うから「モア」って映画があるのかと思ったら違う、そりゃ「世界残酷物語」のテーマとは言えないしな、小学校の吹奏楽で「次は『世界残酷物語』のテーマです」なんて言えない。
ようするにドキュメンタリー映画、未開拓の土人(当時はそう呼ばれていた)から先進国アメリカの退廃ぶりまで色んな国の奇行を紀行するという、なんの事は無い映画。ところどころにヤラセも混じっていて、監督自身のナレーションでうまくつなげて行く。
しかし眠かった、のろのろした編集で眠気を誘う。ハワイの場面で一回寝た。観光案内フィルムを見ている様だ、昔は今みたいに気軽に海外に行けなかったので、庶民が羨望する外国を紹介するだけで映画がヒットしてしまったという事だろう。
イタリア産らしいねちっこい感覚がやっぱある、一時期のフェリーニもドキュメンタリーと現実をないまぜにした作風だったけどあれに近い、インチキ臭さもまさに、眠いのも…、だけどやっぱりフェリーニの方が上かな。監督のヤコペッティもこの後どんどん加速して、撮影隊が過去のアフリカのタイムスリップ、とか、時空を超えて主人公が闘い続ける、とかやりたい放題の路線に突入してしまう。そのねじれ具合を見ていくのも面白いだろう。
「モアのテーマ」が流れるのはアメリカの場面、「モア」は「more」で「もっと」な訳だから、「もっともっと」と巨大化するアメリカを批判したのか、とか想像してみる。
「1999年の夏休み」
実は見た事がなかった、これを見てないというのは「ライ麦畑」を若い時に読めなかったという焦りに近いか、大人になると楽しめないものってたくさんある。
今では、日本映画を一人で支えてる感じのする監督、金子修介の秀作。80年代に流行っていたのかな、今でいう癒し系映画のはしり、同時期に「精霊のささやき」とか「櫻の園」とか、少女マンガテイストでちょっとSFが入った感じの映画が流行ってた、時代の雰囲気なのだろう。
で、この映画。「トーマの心臓」の実写版です、まるっきり。制作費を節約の為にキャストは4人のみ、全て少女でしかも男装させている、そして声は声優を使った吹き替え。アニメと宝塚の要素を含んだ感じか。
設定が近未来(制作時において)なのでSF調のアイテムも登場する、それも別に1999年を想定して作ったのではなくあくまでも作品の世界観をあおるデザインになっている。剥き出しのテレビとか、ゴシック調の大袈裟なレコードプレーヤーとか、どこか萩尾さんの世界につながっている気がしてくる、つまりは品が良い。
だけど、監督の演出力は保証できるが、でもやっぱり、脚本が「トーマの心臓」のまんまだ、脚本は岸田利央だっけ、演劇畑の人でバイブルである「トーマ」をいじれるので楽しかっただろうけど、あまりにもそのままで見てて恥ずかしい、大体これ萩尾さんに著作権入ってるのか?クレジットに萩尾の名前はなかった。
ラストでは突然キャラクターが心変わりしてがっかり、赤川次郎のミステリー小説じゃないんだからさー、付け足しのラストもどうかと思った。
でも、やっぱり綺麗な画面だった、フランスのモーマスがこの映画に惚れこんで、これと同名の曲を作ってたな、音楽も良かった、80年代特有のシンセの響きがいい、音楽監修は柳田ヒロ、あのエイプリルフールのキーボードの人だ、こんなとこで見かけるとは…。
金子さんはその後に大島さんの「毎日が夏休み」も映画化していた、少女マンガ好きなんだなあ。
「ヒューマンネイチャー」
どうしても最後まで心が動かなかった、正直僕には理解できかねる映画だった。すんません。
設定は凄いよ、体毛ボーボーの女性、浮気化学者、猿に育てられた男、この三人の三角関係だ、それだけ聞いたら、なんて面白そうな映画だ!と思うでしょ、ところが設定だけだったんだな。
「猿に育てられた男が化学者によって知的な会話をする事が出来るようになった、そしてレストランに行きウェイトレスに紳士的な言葉使いで注文する、が、その瞬間本能が抑えられなくなり、ウェイトレスに抱きついて腰をカクカクする。」
このシチェーションだけでも充分面白いと思うのだけど、実際見てて笑えるはずのこんな場面も笑えない。演出力の弱さとしか言えない。
誰に感情移入していいか分からない、三人ともロクデナシだし。前回の「マルコビッチ」もそうだった、主人公に思い入れしてたら急に悪い奴になってついて行けなくなって終わった、脚本のハッタリは凄いのだが、自分が誰で何をしたいのかそれが見えない、それでいてアート系の映画みたいに作ってあるのでお金をかけた見せ場も無いし。
それなら最初から馬鹿でどうしようもないって分かってる娯楽大作見る方がまだいいかもな。
オマケに付いてた短編も見る気にならなかった、すんません、どうも波長が合わないや。
「はだしのゲン」
映画じゃないじゃないか!と言われそうだが実は「はだしのゲン」は映画化されている、小学生の時に期待して公民館に見に行ったのだけど、なんか違った、それが何か分からないまま映画自体もたいして話題にならず記憶から消えて行った。
それで最近漫画の「ゲン」を読み直してみた、今もって充分にインパクトがあった、そして何が違うかが分かった、絵だ、漫画の絵は正直上手くない、洗練さがなくむしろアクがある、そして漫画であるという事だろうが少し客観的だ、例えば被爆した人の描写も緻密というよりは手抜きというか、かなりいいかげんだ、そこが逆に神経を突いてくる、具体的過ぎて申し訳ないが、脳みそを針でチクチクと刺されている様な感覚だ。
これを江川達也みたいな絵でやられたらよりリアルだろうが、神経を突く何か「嫌」な感じはでないと思う。
映画に例えれば、イタリアの古いホラー映画みたいにいいかげんな作りの死体で、そのいいかげんさが逆に神経を追い立てる、たまらなく嫌な感じに包まれるあの感じだろうか、最近の映画ではCGばかりで綺麗にはなったが何も感じない、それだ。
つまり映画の「ゲン」は綺麗すぎたのだ、被爆の場面もゲンの家族だけはみんな綺麗な顔だったし、投下された瞬間の描写もリアルで怖かったが、「嫌」な感じはなかった、よくできたアニメの反戦映画といった感じだ。
漫画の「ゲン」はそういう意味でも真の傑作反戦漫画であり、子供にトラウマを叩き込むスカム系のアウトサイダーアートでもあった訳だ、その2つが同時作用した結果、漫画の「ゲン」は今もってインパクトの塊として作用している、今すぐ子供に読ませるべきだ。
ちなみに、原爆の話がメインだが、その前後にずいぶん戦争における人間の業の深さや恐ろしさが批判的に描写されている、ここには怒りがある。「火垂るの墓」と同じだ。
「サイレンランニング」
ダグラストランブルの地味なカルトSF映画、いや地味でした、地味過ぎだ、宇宙を漂流する宇宙船にロボット2台と男一人だけがいて、植物を育てたり、トランプをしたりするという、退屈な内容。
しかし、これだけ低予算で地味な内容でも、結構見せるのは脚本の力だろう、脚本はマイケルチミノとスティーブブッコ、前者は「ディアハンター」、後者は「ツインピークス」、豪華だな。
宇宙船の中央にはドームがあり、そこには植物が育っている、「イデオン」のソロシップの元ネタだったのだ、しかし70年代のSF映画って今見ると斬新です。
「THX−1138」
ルーカス71年の作品、大学の時に作った映画をコッポラが制作して劇場作品に仕上げたのだが、出て来るのが全員スキンヘッドなので誰が誰かわからない、内容も退屈極まるもので、そういう意味ではアメリカ人の感覚で作った「アルファビル」という趣き
「番号なんかで呼ぶな、俺は人間だ!」
って「プリズナーNO.6」の本格パクリだしね、セットは「2001年」のラストの部屋っぽいし、駄目だな、僕は実は「スターウォーズ」も駄目で、ルーカス作品は駄目ですね、ルーカスは古谷一行に似てる。
「新しい神様」
右翼パンクバンドのボーカルの少女を追ったドキュメンタリー。
元々はビジュアル系バンドのおっかけをして、そのバンドのメンバーがナショナリストで、ビジュアル系信仰から移行して右翼になったという現代っぽい経歴、少女には自分がなく他者との関係を作れない、そして誰かに何かに依存していないと安心できない、所謂境界性神経症だ。
「新しい神様」とは、常に自分が依存できる「神様」を信仰する事でしか生きれない弱い少女の事を現していめのだと思う。
その、まるでフッションみたいに服を脱いでまた着る様に右翼になった少女が、なんと元赤軍の極左のおじさんと北朝鮮に行くという凄い話に、この映画、実は思想の違う者がどう共存できるかというテーマというか実験もなされている、で、北朝鮮に行ってよど号のメンバーと会い(なんと「裸のラリーズ」のベースの人とも)、北朝鮮の観光コースを巡るうちに少女の「神様」は「北朝鮮」になっていく。
右翼と「北朝鮮」とはもともと敵対する要素だ、だが、依存できる「神様」が何であれ、どんな思想であれ関係なく少女は自分が安心できる大きくてみんな同じ事をしていて安定している社会を「神様」に選ぶ。
つまりは、これは少女のわがままの記録でもあるのかな。
少女と同棲しているナショナリストの青年は、対照的に思想にこだわり、街頭によくいる右翼みたいなあの口調で演説してライブハウス出入り禁止になったりしている、バンドのギターは左翼であり監督もまた左翼である、こうして思想の違う人間がそれぞれ会話してなんとか噛み合う位置を探し出そうとする。
という深遠なテーマが後半ずれて来る、監督が主人公の少女に恋愛感情を抱き、しだいに少女も監督にその感情に気付き、その思想を理解しようとする、このくだりカンパニー松尾みたいでが面白い。
撮影されたのは1999年、まだ不景気も始まったばかりで、テロもなければ北朝鮮拉致問題もなかった時代だ、今よりはまだ平和だった時代だ、右翼の人達が「日本は平和ボケしている生きているとは言えない、御国の為に命をかけて闘う、その時に本当に生きていると実感できる、だから右翼をやっている」と誇りを持って言う、呑気な時代もあったものだと思う。今や国内が閉息して働けない若者がこぞって右翼に入り思想と関係なくフラストレーションをはらしてる、荒れた時代だ。
「バットマン・リターンズ」
DVDで900円、安いな。
さて、ティムバートンの人生恨み節炸裂の本作、最初は大学の友達に「バットマンの新しいのなんかへんだよ」と言われた、「キャットウーマンが部屋を無茶苦茶にして狂ったようにコスチュームを縫う場面がなんかへんなんだよ」と漠然とした感想を聞かされた。だけどその時は見なかった、丁度次作の「シザーハンズ」が阿倍野の500円の映画館で遅れて上映されてて、それを見た。辛い映画だった。
「タマラン世界やなあ」と友人は言った、タマランにもいろんな意味があるだろうが、確かに具体的にどうとは言えない世界があった。2年ほどして本作を見た、正直泣いた、なにかタマラン世界だったのだ。
ティムバートンが「バットマン」をまかされた時には、まだためらいもあった、子供に受ける不気味な世界を作る監督が「バットマン」をゴシックに染めた、画面は真っ暗で話も暗かった、それなのに「バットマン」は大ヒットした、ハリウッドでは異例の事態だった。
で「リターンズ」だが、これにはとまどいも何もない、脚本は学校を爆破する青春映画「ヘザーズ」のダニエルウィンストン、特撮は80年代の傑作を手掛けた職人スタンウィンストン、もう奇跡みたいなスタッフが結集した、以後の映画で蔓延するCGも本作ではミニチュアと併用されてて実に違和感が無い、ハリウッド特撮映画が機能していた最後の作品なのかもしれない。
そして脚本だ、親に捨てられたペンギンの復讐も相当なもので、これは後の「ナイトメア」でも引き続き引用されている、そしてバットマンとキャツトウーマンは境界性神経症で、社会不適格合者で、自分のコンプレックスを隠す為にコスチュームをまとっている、アメリカというベーシックすぎる社会に適応できないゴス、ナードといった優しいリベラリストが、自分に嘘を付かないで生きる為には自分を引き裂く以外には方法は無い、むしろ誇りを持って自分をさらけだす、それがこのねじまがった素敵なヒーロー達だ。
いや、この映画では、バットマンすらどうでもいい、やはり大学の友人が言ったシーンだ、キャットウーマンが自分の部屋をぶち壊して、コスチュームを作る場面だ。ミッシェルファイファーの鬼気迫る熱演が凄い、瞳孔は完全に開いてるし、ここワンカット長撮りでピリピリとした緊張感も最高だ、当時彼女には私的に何かあったのだろうか?何回見ても昂揚して叫びたくなる、負け犬の恨み節が爆発する最高の場面だ、この場面の為にこの映画があったといってよい。
以後の展開はちょっと寒くなるのだが、バットマンとキャットウーマンがお互いを同じ人間だと感じ、愛してしまう、だけど愛せないその切なさ、そしてパーティのシーンでの台詞だ。
「僕らは1つだ、人格が2つに引き裂かれているんだ」
ここで泣かずにいられない、愛しあっているのに愛し合えない。
いったんは社会に認められたペンギンが、やはりフリークスとして死んで行く場面の無常感も沸点が上がる、仲間達は逃げ出し、ペンギン達による葬列が静かに行われる、彼もまたバットマン、キャットウーマントとおなじ、自分を探し社会で生きて行こうとするが、それが不可能な悲しいマイノリティだ。
バートンの恨み節は本作が最高で、以後もマイノリティの自分らしく愛する人を愛そうとするが社会的に差別されている馬鹿で優しい人々を描き続けるのだが、序々にそれは枯れてしまった、それはしかたないのだ。
会社の金を使って社会を馬鹿にする、しかも会社はそれには気付かない、それでいて一級の娯楽作品になっている、そんな、本当にパンクロックな映画は本作だけだ。タマラン喜びです。
「幸福物語・ペンギンズメモリー」
中学生の時にテレビで見て、ペンギンがベトナム戦争で戦ってる場面を鮮烈に憶えている、いや忘れられない、ペンギンの可愛い絵でマシンガンを撃つ、なんだこれは!!!って。
今回見直してみたのだが、冒頭のベトナム戦争の場面がとにかくよく出来ていて感心した、真っ暗の画面からヘリの音、透過光のマズルフラッシュ、ナパーム、マシンガンを撃つペンギン達。
絵はあのペンギンの可愛い絵なのになんという生々しさ、しかもフルコマ撮影(アニメの手法)だ、ペンギンの兵隊の声が阿藤海とこぶ平で、声優じゃないのでまたリアルだ。
思うのだが、こういう本当に生々しい話を上手い役者がお金かけてやってもちっとも生々しくなんかならない、これはこの絵柄だからこそ表現できる話だったのじゃないかな。人間がやると「ビルのたて琴」とかああなってしまう。
ベトナムの避難民を虐殺するアメリカのヘリ、目の前で死んでいく戦友、故郷に帰ると英雄扱いされ、好きな女の子は結婚して、皆が聞く事といえば戦場での活躍ばかり。
それからはジャックケルアックというか、アメリカンニューシネマの路線、故郷から逃げた主人公は旅に出る、そして落ち着いた街で職を見つけ、恋人を見つけるが…
まあ後半はたいした事ないです、やはり前半の魂の彷徨、戦争という怪物によって狂った青春、失われた自分を探す青年の孤独な旅、これがどうも心に染みこんでしかたがない、どうなってんだ。
リアルな背景もあいまって、本当に重みをもった一流のドラマになっている、これ子供がペンギン目当てに観に行って、最初でトラウマをぶち込まれ、途中からは寝るという展開になったんだろうな、まるでフランス映画の秀作みたいな風格もあって、ぼくなんかは大好きなんだが。
松田聖子の曲で話題になって映画になったので、その曲も使われているが、これが映画と一体になっててストレートに心に来る、はっきり言って泣く、「スイートメモリー」の歌詞とか今さらながら凄いと思うし、他の曲のアレンジもテクノポップしてて新鮮、それが映画を邪魔してないんだな。
♪グレイハウンドに乗って見つけに行こう、故郷を
と歌ったのはサイモン&ガーファンクル、あの歌の通りに主人公は自分を見つける旅を続ける、なんだか「不幸」ばっかりの彼の物語だが、なんで「幸福物語」なんだろうか? 原作が存在したら絶対に読みたい。
「ベイブ」
やったやった、ついに録画したぞ、「ベイブ」の民放ヴァージョン!
なんで民放なのかという、この映画だけではないのだけど、オフィシャルの吹き替えよりも民放での吹き替えの方がレベルが高いのだ、実際にその映画を観て、理解して、演出してキチンと吹き替えがなされている、「ベイブ」はテレビで見て感動して、ビデオで見て落胆した。
テレビ版は、ネズミ達が歌う一瞬の歌(声をチップマンクスみたいに高音にしている)まで翻訳して、ちゃんと日本語で合唱(コーラスも)している、僕はチップマンクス声のネズミの歌に泣いてしまったのだ(青い夜にひとりで〜とかいう歌で)この映画音楽がやったらいい。
吹き替えだけではなく、映画自体も最高だ、食べられるだけの存在の豚のベイブが、自分の存在理由を持ち、そして牧羊犬として活躍するというのがおおまかな話なのだが、生存競争、タテ社会、どの動物も生きることで精一杯なのだという、それは人間社会の事実なのだが、それを動物をメタファーにして寓話的に暴いていく。
ベイブの母親の変わりとなる犬のフライが好きだ、ドスの効いた事で「あなたはここまでよ、あなたは豚なの、豚は人間に食べられるの」と言うフライ、女の強さと母性をうまく共存させている、ベイブは正直で真面目で無力で、実は母性本能に訴えてみんなを味方につけて行く、そんな気もする。
犬と羊の関係もニヤリとさせる、犬は「羊は馬鹿だから怒鳴って命令しないといけない」、羊は「犬は低能で残虐だから何を話しても無駄だ」、そんな動物の間をベイブがうめる、羊はベイブに、「人に何か頼むときにはお願いしますと言わなきゃ」と当たり前の事を言う、ベイブが「お願いします」と言うと羊たちはベイブの言う事をきく。
なんだ動物の話かと思うなかれ、人間はいまだに動物なのだ、いやそれ以下なのだ、だって未だに、いや今も戦争をしたくてしかたないじゃないか、誰が犬で誰が羊かはまあ自分で考えてみて下さい。
この映画のもう一人の主人公はじいさん、このじいさんは、豚が牧羊犬になると信じて、そんな馬鹿な事を本当に実現しようとする、だれもが笑う中を胸はって進む、自分を信じて誇りを持って進む、必要な事以外には何もしない、無口で論理的で誇り高い本当の男であり少年だ。
力が正義の社会、それに逆らえない社会で、そんな間違った社会も変えられるんだよ、って、そんなメッセージを勝手にいただいたのですが、みんなもいただいて下さい。
「ブラックホークダウン」
リドリースコットのスットコドッコイ戦争映画。
911テロと同時期なので、アメリカでは公開するかどうか議論があったみたいだ、それが「テロがあったのに戦争映画なんて不謹慎だ」なのか、「今は戦争をする時期なのに、戦争の悲惨さをリアルに描く映画が公開されたら国民の戦意が喪失されるから駄目だ」なのか、どっちか分からないが、多分後者だろう。
といってもとっても馬鹿映画になってます、アメリカ軍の兵士はクラブミュージックにあわせてバスケしたりして、戦争って楽しいねーってノリです、それが後半で本当に戦争になって本当に人が死んで行って、それで結局20人死んで、あー疲れたって基地に帰って終わり。
市民は千人死亡したらしいけど。
で、戦争って酷いよね、してはいけないよ、というおしつけが無くて、ただ単にこういう酷い戦闘がありました、終わり。で終わってる。
金かけてる割には中途半端、反戦映画なのかプロパガンダなのかはっきりしない、多分前者のつもりで作ったのだろうけど、結果的には後者になってる。
戦闘場面での人物の描きかたが粗すぎる、誰が誰で何を考えてるのか分からない、制作者の意図が見えないというか、存在しない。
一番の場面は、酷い作戦を遠い基地から指示してる本部に対して、死にかけた兵士が文句を言おうとするのだが、上官が言う
「何も考えるな、戦場で考えたら終わりだ、終わってから考える時間は嫌という程ある」
これがアメリカの戦争大好き原理を上手くあせわしてる、カッコつけて言ってるつもりなんだろうけど、幼稚過ぎる、こういう論理の対立が戦争を産む、そして戦争は終わらない、なぜなら人間は戦争をしたがってるからだ。
なんて事を言って欲しいのだけど、映画はそんな事も言えないくらい幼稚な文化に成り下がってしまったのね、リドリースコットって監督も仕事に自分の技術は込めるけど、思い入れは無い人らしい、「ブレードランナー」もエンディングの尺が足りなくて、急遽余ってた「シャイニング」のボツテイクを継ぎ足して無理矢理完成させたらしい。自分のこだわりの範囲外に関しては興味が無いんだ。
だからこんな珍妙なやる気のないぬる〜い映画になった訳か。
「イビサボーイズ・GO!DJ!」
イギリスのテレビシリーズの劇場版、スタッフはSF版モンティパイソンといった趣きの傑作「宇宙船レッドドワーフ号」と同じだというから期待もするじゃないか。
「ドワーフ号」は知的な設定で痴的なギャグをかますというイギリスらしいタマラン番組だったのだが、このシリーズは痴的な部分だけしかなくなっている、女にモテない二人組のDJが「一発ヤリタイ!」などとテクノのレコードに合わせてMCするという、駄目の強度がマックスまで近い主人公達、物凄い強引にイビサ島へ行く事になる、イビサといえばレイブパーティ、ナンパのメッカという思い込みで、イビサで女の子の気をひこうと奮闘する、という内容。
諦めきったようなギャグの連続でかなり脱力できる、女の子二人が「ブサイクはパーティに入れない」と言われて、気合入れて化粧する場面が凄い、顔を両手でギュッと押せば、ニキビの中の白いのがバケツ一杯ぶんくらいの勢いで飛び出してくる、女は怖い。
後半は主人公の両親夫婦にクローズアップされていく、中年夫婦が見たら意外と元気が出るのではないかとも思う、中年が元気いい映画といえば「ビジターQ」ってのもあったな。
「ビジターQ」
でその映画はと言うと三池崇史が500万円で撮りあげた日本一低予算映画、「ブレアウィッチプロジェクト」の3分の1だ、当然全てデジカム映像、多分家を一件借りきって短期間に撮影したのだろう。
父親が自分の娘とラブホテルにいる場面から始まり、いじめで不登校の息子、その息子にDVを受ける母親、その母親は援助交際をしていて、父親は家庭では無視されている。
という破綻した家庭にビジターが現れ、そして家庭内の人間関係がだんだんと変化していく、漫画家の内田春菊が出演しているのも話題にはならなかったが、面白い、殺人、そして死姦とエスカレートしていくのだけど、陰惨ではなく、むしろからっとしている、ポップといってもいい、最初から壊れているのでモラルへの抵触は感じられない、それは表面状だけのもので、本質はその奥にある。
テーマは母性だ、どんな自体に陥っても母性が家族を再生させる。のかな?
とにかくお父さんが元気いい、めちゃくちゃしてるのに軽いし、明るいし、見ている方も元気が出る、こんなに荒れた社会になってしまったけど、母性と明るいお父さんがあればなんとかなる、のかな?
「イシュタール」
ダスティンホフマンとウォーレンビーティによる最高のバディムービー、ミュージシャンを夢見て地道に活動する二人のボンクラ中年、だが恋人に逃げられ自殺未遂の果てに、失うものは何もないとモロッコにドサまわりの巡業に出る。そこで出会ったレジスタンスの美少女イザベルアジャーニに巻き込まれ、ドラマは思わぬ方向に!というストーリー。
僕もバンドなんかをやったりしたけど、最初にギターを持つきっかけはビートルズでもなければ、セックスピストルズでもない、実はこの映画を見た影響なのだ、この映画では才能も運も美貌も金もない最低のボンクラ中年が、それでも誠実に夢を求めて奮闘する、そのチバアキオ的にストイックな姿勢に心を熱くするのだ、どんな凄いロックアルバムより、この映画が僕に与えた影響は大きい。
ラストではハッピーエンドなのかトホホなのか分からないが、その崩れ具合もいい、イザベルアジャーニが涙を流してキラキラした笑顔を見せているが、あれは演技ではない、本物だ、エンディングの曲の入り方も最高だ、涙腺を刺激しまくる、正直、大号泣した。
もうスタッフもキャストもノリにノリまくっていて、そのグルーブがきちんとフィルムに記録されている、これほど満足な仕事は人生に何回もないだろう、俺達は大変な傑作を作ってしまった!そんな自信に溢れている、実際傑作だ、これ以上の映画はそうない。
だが、現実には「低予算のB級コメディ」の一言で話題にもならなかった、イザベルアジャーニは「これは傑作なので、いつか評価される日が来る」とコメントしていた。B級コメディの中にこそ、最高の感動と真実があるんじゃないのか、そう問いたい。
夢はかなわないかも知れない、でも、やるんだよ!
今でも、たまに見返して、やはり感動してしまう永遠の傑作。
「ザ・ミッション非情の掟」
香港ノワール映画、「男達の挽歌」を頂点とする、男達の友情と銃撃戦をこれでもかと派手に派手に描き、アジアのアクション映画の一つの源流になっている、しかし、その「挽歌」でタッグを組んだ、ジョンウー、チョウユンファ、ツイハークはハリウッドに進出し、それぞれに活躍を続けているが、残念ながら「挽歌」を超える作品は今だ無い、特にジョンウーは、銃撃戦の演出を徹底し過ぎてマンネリ化の声もある、別に鳩が飛ぶ必要もない、我々が求めているのは「挽歌」で見せたあのあまりに静かな男達の情念が燃える瞬間なのだ。
そして「ザ・ミッション」だ、「アンチジョンウーの精神で作られているが、まぎれもなくジョンウーの精神を受け継いでいる」との評もある、この映画には派手な銃撃戦など一切ない、出てくるのはオッサンばかり、はっきり言ってアメリカ人とか関西人が見たら「これ誰がええもんで誰が悪やねん」と納得しない作りだ、ヤクザのボス(いい人)をひたすら守る5人の男達の本当にささやかな静かなドラマ、そして闘いを淡々と淡々と描いている。
銃撃戦にしろ、音響や効果はひたすらリアルなのだが、不必要な不自然な動きは一切ない、プロフェッショナルならではの直立不動で正確に冷静に敵を撃ち殺していく描写は鳥肌立つほどかっこいい。
物語が進むにつれて刺客の正体も分かっていくのだが、本当に誰が正しいのかもここでは描かれない、男達は冷静に仕事をこなす、捕われの刺客にもタバコをすすめ、人間としての付き合いを忘れない、だが次の瞬間には撃ち殺して無言で立ち去っていく、殺し屋たちの無常。
そして驚くべきなのが、地味なラスト、食事をしながら、銃口を突き付け、水面下では友情が揺れ動く、そして静かな終局、もしかしてハズしたのではないかと間違えるくらいあっさりしたラスト。
だが、これがリアルなのだ、ジョンウーがあまりにバイオレンスを美しく誇張して描いたので、香港ノワールはその本来の熱さを見失っていた、それじゃイカンだろ!と登場したのがこの映画だったという訳だ。
ペキンパーがアメリカを追放されて撮った「ガルシアの首」という低予算映画の空気にも似ているかもしれない、こ汚くて、情けなくて、でもピュアで、リアルで、死のニオイが漂っている。
そんな映画。
「ラビッド」
クローネンバーグの初期の傑作、興行的にはコケたらしいけど、中身はぎっちり。事故で病院に運ばれた女性が中性処理という手術を受ける、この唐突なはじまり方がトビーフーパーのホラーみたい、低予算で不自然かつ生々しい感じ、夜中にギャーと叫んで起きたこの女性、食べ物を受け付けなくなり、腋の下からなぜか男性器のような管が飛び出し、そこから他人の血液を奪って生きていく事になる、腋の下吸血鬼だ。
彼女に血を吸われた人々は、狂犬病になり、突如発狂し他人にかぶりついて血を吸いはじめる、そして血を吸われた人間も同じように狂犬病になっていくという、ほとんどゾンビ状態。病院は閉鎖され、街にも戒厳令が出される、こうした緊迫した状況を淡々とテレビ放送などでリアルに表現していく演出は、もちろんロメロの「ゾンビ」からの引用だろう、軍隊と殺菌服を着た処理班がゴミの回収車に乗ってゾンビを射殺、死体はすぐにゴミの回収車にほおり込む!という荒々しい方法で街のゾンビは駆逐されていく、で、ゾンビの元の腋の下吸血鬼ガールはどうなるのか?彼女を追う恋人の男性はどうするのか?一体この物語はどう決着をつけるのか!
若きクローネンバーグが才気溢れる演出で撮りあげてます、しかし、やはり半分自主製作みたいな無意味なカメラワーク、えっ今のスローモーションの意味は?といった荒削りな部分がかなり気になりますが、とことん冷静にそしていつも寒そうな画面で進行する物語のリアリティはここで確立されてます。
後に事故フェチ映画「クラッシュ」を撮るくらい、車好きのクローネンバーグ、この映画でも事故のシーンがやけに多く、またやけに気合い入ってます。個人的には市長の車がゾンビに襲われ、唐突にドリルで運転手を串刺しにして引きずり出して喰い始める場面の生々しさはなかなかです。
腋の下から男性器というネタは、内田春菊が80年代に引用してました、意識による肉体の変容、それにともなう男女の性差だの人間と機械の融合だのSFめいた事をテーマにしてる訳ですね、それと車の事故、ここまで偏執な監督もいないでしょう。
「靴をなくした天使」
ダスティンホフマン主演、ダスティンホフマンは大好きな俳優だ、「卒業」「わらの犬」「真夜中のカーボーイ」「クレイマークレイマー」どれも全く別の役柄ながら作品になじんだ熱演をしている、パプリックイメージは小柄で演技の上手いオッチャンってな印象だが、僕にとっては「イシュタール」で刷り込まれているので、凄い俳優の中の一人だ、みうらじゅんにおけるブロンソンみたいなものだ。
その俺のダスティンホフマンの魅力が最大限に発揮されたのが本作だ、無職のロクダナシで嫁にもあきれられて離婚され、子供も嫁にとられている(まさにクレイマークレイマー)なホフマンが、なぜか飛行機事故の現場に遭遇、行き掛りながらイザという時には冷静に行動するホフマンは燃えさかる飛行機内から乗客を救助、そして爆発に吹き飛ばされて川の中にボチャ、彼に救助された女性キャスターは、残された彼の靴から彼を捜索する、しかしホフマンが履いていたもう一方の靴は、ヤングホームレスのアンディガルシアの手に渡り、メディアはこぞってガルシア君をヒーローに仕立て上げる、のだが!
とにかく情けないホフマンの魅力が詰っている、メディアに祭り上げられるガルシアと対照的に、ホフマンは世間的にはボンクラ扱いされながらもヤル時にはばっちり決める、まるでふだんは女にうつつを抜かしてるルパンが、いざという時に表情と声をガラリと変えるような、あのカッコよさ。
この映画が、僕にとって特別なのはそれだけではない、田舎の映画館の、それも同時上映扱いのこの作品だが、あまりの面白さに、観客が本気で笑い、泣き、そして立ち上がって大拍手をしてしまったのだ、「ニューシネマパラダイス」のあの感じだ、映画が本来の力を持っている事を証明した瞬間だった。
誰も期待していない前座のバンドがメインのバンドより盛り上がったって感じかなあ、いや、それより、映画もロックなんだなあって、はじめて思った、これだけ観客と一体化して感動できた上映は初めてだ。
もう、たまんないのがラスト、もう見て欲しい、世間的には駄目人間の烙印を押されたホフマンが実はヒーローだった、だがメディアにおいて彼はヒーローにはなり得ないキャラなのだ、本当のヒーローは目立ったりしない、いつも遅れて現われる、そして重い腰をあげて言う
「やれやれ、俺の出番か」
「スネークアイズ」
テレビでなんとなく見た、ブライアンデパルマ監督、ニコラスケイジ主演。
スネークアイズってニコラスケイジの顔が何となく蛇みたいだからなのか?と思ってたら違ってた、まあ当然か。さて、本作、出だしからデパルマ得意の群集の中を動き回るカメラワーク、「ミッションインポッシブル」で一番良く出来ていたのも群集シーンだ、そしておなじみ画面二分割や、同じシーンを全く別の人物の視線でリプレイしていく重層的な構造、まさにデパルマ節全開の大復活作、というと大袈裟であるが、初期のデパルマの凄さを知るファンにとっては思いがけないプレゼントの様な作品になっている。
脚本もこの手の大味の作品の中では随分マトモな方だし、主役なのにニコラスケイジが全然いい奴じゃない、出世欲の固まりの汚職警官だ、対する基軸の悪役シニーズは、エリート軍人でモラリストだが、いざとなると殺人も辞さない冷血な人物として描かれている、シニーズがなぜここまで冷徹になったのか、その理由もキチンと説明されており、映画は、よい友人だったケイジとシニーズの立場がしだいに逆転していき、そこに切ない男の友情を絡めて進行する、そしてシニーズの悪役ぶりも絶品だ、捕まった時の情けない表情がまた小悪党ぶりをうまく演じ切っている(立ちションしてて警官に見つかったリーマンの様な顔で)、拍手。主役なのに没落するケイジもケイジらしくてよい、しかしラストのオチの意味は全く意味不明でした。
さて、この作品を見て結構良かったと思った方は、続いてデパルマの次作「ミッショントゥマーズ」を見る事を薦めます、なんせ今回の名悪役シニーズが主演、本作を見て「デパルマ完全復活か!」期待したファンの腰をフニャフニャにさせた大脱力作なのだ、シニーズが悪役顔で宇宙船内をうろつくので、一体いつシニーズが異常犯罪を犯すのだ!と期待するが、なんにも起こらない、そりゃ主役だし、ディズニー映画なのでそんな事は起こる訳が無いのだが、本作の悪っぷりを叩き込まれているファンは、シニーズ!殺せ!やっちまえ!と期待してしまうのは当然だろう、この映画はデパルマが撮った意味が全くない子共向けSFの大駄作なんだけど、本作と続けてみると物凄い解脱感を味わえます。
「最後の猿の惑星」
「猿の惑星」シリーズの完結作である。実は「猿の惑星」シリーズを民放で完全放送していて、美味しいとこどりでぼちぼち見ていたのだが、この最終作だけはキチンと最後まで見た、しかしこれを見るだけで、おぼろげながら「猿の惑星」のストーリーを掴んでいけるからお得だ。
最初の「猿の惑星」では、未来の地球が猿が人間を支配する世界だった。で終わっている、続いての「続・猿の惑星」では、ミュータントと化して核ミサイルを神と崇めるカルト集団と化した人類が猿と闘いを繰り広げる、そして「新・猿の惑星」では、人間に味方をする知的な猿コーネリアスが主人公となり、チャールストンヘストンの乗って来た宇宙船で過去の地球に辿り着く(そんな馬鹿な?)、しかし人間達に研究材料にされそうになり逃げるのだけど撃ち殺される悲しいラスト。そして「猿の惑星・征服」では、コーネリアスの息子のシーザーが猿たちを指揮して人間に革命を起こす(これもイキナリな話)。
で、「最後の猿の惑星」となる訳だ、原題は「battle for the planet ape」、猿の惑星の為の闘いという意味。で、前作のラストでは猿が機動隊と学生紛争まがいの肉弾戦をしたあげく、ビルが一つ燃えただけで終わりというスケールだったのに、その間に猿の反乱の為に人間が核戦争を起こして世界が崩壊してしまう、それをナレーションだけで説明するのがチョット悲しい。
滅びかけた人類は猿に奴隷のような扱われている、しかし猿たちに言葉を教えるのは人間の役目であり、リーダーのシーザーも猿と人間の共存に頭を痛めている。
猿にはチンパンとゴリラとオラウータンの3種があり、チンパンは理知的でおとなしく組織化されている、ゴリラは野蛮で戦闘的で人間を殺そうとしている、ウータンは戦闘には参加しないが一番頭が良い、猿が人間を支配しても、猿種の中で差別や衝突が起こるのが、この作品の醍醐味だ。
「猿は人間の鏡だ、人間は鏡を見るのが怖いから、猿を奴隷にしたのだ」
という台詞もある、このシリーズでは常に現実の人間が抱えている矛盾した問題を猿を通じて提起している、さすが70年代の映画だ。
2作目で登場した地底人と化した人類も登場し、彼らはケロイドをつけた顔で、スクールバスを改造した装甲車に乗って猿を襲ってくる、まんま「マッドマックス2」の世界である、「ゾンビ」の暴走族襲撃のシーンにも影響を与えているのかも?
前作の猿と機動隊の攻防は井上三太の「トーキョートライブ」の元ネタかも知れない、「SARU」はその意味だったのか、そしてその後、小山田圭吾が「コーネリアス」り名乗り、ニーゴがエイプを作り、東京の文化は「猿の惑星」一色になってしまう、しかしバートンのリメイク映画の大コケで、ようやく「猿」ブームも終わりか?フーッ、一安心だ。
話を戻そう、コーネリアスの息子シーザの息子がまたコーネリアスという重層的設定で、このままタイムパラドックスで延々にループしていくオチなのかと思ったが、違うのだ、実は地球を滅ぼしたのは人類ではなくゴリラだったという事実が明らかになり、そして反乱を企むゴリラがコーネリアスを殺してしまう。事実を知ったシーザーはゴリラ将軍と猿らしく木の登って決闘というすごい展開に!
シーザーを助けるのが黒人青年(声の小林清志かっこいい)なのがまたヒネリが効いている、黒人はかつて白人に動物扱いされ、奴隷になり、そして差別された歴史を持つ、その歴史を知っている黒人青年が猿たちの革命に加担するという、まさに歴史はくり返すの言葉通り、そして人間なんて簡単に滅びちゃうよという警鐘も鳴らしている、そして人間の変わりに猿が地球を支配しても、やはり同じ事をくり返すという皮肉、それがラストの地味なオチでひっくり変える、映像的には本当に地味だが、脚本としては力技だと思う。 是非、シリーズ一作目から見直してみたい、全部で8時間近くあるけど…。
「ゾンビ極道」
「発狂する唇」「血を吸う宇宙」という、映画として成り立っているのかいないのか全く分からない、もうあやういいいかげんな傑作を作り出している佐々木宏久監督の出世作。
元々、実録シリーズという「仁義なき闘い」のパロディものとして大量製作されているVシネの企画での作品である、オープニングの音楽から「仁義」のテーマ曲と微妙に違うフレーズのギターにドラムンベースが絡むというバッタもん感覚溢れる出だし。組の権力闘争の犠牲になったヘタレヤクザが、伝説のヒットマンの霊魂と合体してゾンビとなって蘇るというそのまんまな話、これを三池崇史が撮ったならば、ヒリヒリとして緊張感と哀愁と馬鹿馬鹿しさがカタルシスとなってラストに向かう傑作になり得ただろうが、なんて言ったって「発狂…」の佐々木である、緊張感など皆無、ホラーだから怖いのかというと全く怖く無い、一応約束として「仁義」っぽい演出もあるが、全くやる気が感じられない、そこが素晴らしいのだ!
一体この人は何を情熱にして映画を作っているのかが全く分からない、だが、出来上がった、いーかげんなリキみの全くない作品を見ると不思議と納得してしまう、でも「映画になっている」って。
見せ場は2つ、増田未亜演じるろうあの恋人、これが脱力した世界の中で唯一光彩を放っている、そして自分をはめた弟分と闘う場面、「兄貴ぃ、彼女を愛していると言ってくれ〜、俺は彼女が好きだあ、すきだあ!」と叫びながら切腹する場面の無常感には一気に沸点が上昇する。
悲しく熱くしかも地味で馬鹿らしいオチも最高だ、最低だが最高だ、一体この監督ってなんなの?本当に今だに分からない存在だ。
そう、個人的にウケたのは、ゾンビになって帰って来たら、ヤクザの事務所でみんながしゃぶしゃぶ食べてて、「おう、お前も喰え」と言うと、ガツガツ生肉を喰ってしまうというベタなギャグ、結構ツボ突きますよ。
「マルホランドドライブ」
あまり情報を頭に入れないようにして見に行った。全部で2時間26分もあるので退屈するかと思われたが、これが次から次に起こる謎のドミノ倒しに結構楽しめて見れた、途中までは。
「セリーヌとジュリーは船で行く」という4時間近い映画がある、二人の女の子が楽しそうに謎を追っかけていくのんびりと楽しい映画だったが、それと近い感覚だ、記憶喪失の女性と女優志願の女の子が二人して謎を追うストーリー、との合間にツインピークスばりの不条理が盛り込まれていって、「ロストハイウェイ」を可愛らしくした様ないい映画だなと思っていた。途中までは。
泣き女の絶唱に訳もなく感動して二人して泣き出す場面には、見ているこちらも意味は全く分からないが泣きそうな気持ちになったし、とにかく主役の二人の女の子の関係が素晴らしい、途中までは。
始まって90分までは本当にリンチらしいいい感じの不条理劇だったのだが、突然主役の女の子がいなくなって、映画は最初のシーンに戻る。
ああ、これでストーリーがリピートしていくオチだな、と思っていたのだが、映画は終わらないのだ、しかも今までの謎解きを始める、謎解きというか、言い訳というか、苦し紛れに強引に終わらせた感じだ、2時間半もあって中途半端もいいとこだ。
そして、見終わった後に「映画秘宝」を読んだら納得がいった、実はこの映画は「ツインピークス」の夢よもう一度と、テレピシリーズのパイロットフィルムとして製作されたそうで、テレビ局は試写の段階でボツにして、フィルムはオクラ入りしていたのだ、それをフランスの映画会社に「完結させるなら劇映画として上映させてもいい」と言われてリンチが45分の解決編を撮り足して完成させたという。
つまり、最初の90分で映画はパイロットフィルムとしては終わっていた、それからはテレビシリーズでまた謎を展開させつつ完結させる予定だったのが、急遽短時間で完結させなきゃならない、しかも制作期間に数年のブランクがありリンチ自身のテンションも落ちているし、終わりなんて考えてなかった!というのだから大変だが、ある夜「夢で終わらせ方を思いついた」らしい、確かに終わりかたも夢オチといえなくはない。
という訳で、最後の撮り足した部分までは抜群に面白い、50年代の文化を愛するリンチならではのキッチュな、いや畸形化されたレトロモダンがあちこちで炸裂する、大体話も現代なのか昔なのかはっきりしない、電話は妙に古いし、主人公の持っている携帯ですら70年代にあった車内電話のようなデカイしろものだ、全体的に50年代の名作映画(とリンチが思ってる映画)に対する引用はかなり偏執的、そして好きに映画も撮らせてもらえないメガネオタクな風貌の若手監督のキャラには自身の自己投影がなされていて、哀れでおかしい。
パイロット版にちょっと手を加えるだけにとどめておいたら傑作になったかもしれない、もったいない作品だったなあ。
「恨み」
ジョージ・A・ロメロだ、悲しくなってくる、かつて「ナイト・オブ・ザ・リビンデッド」や「クレイジーズ」といった問答無用の傑作をたたき出した監督だ、ダリオアルジェントと組んだ「ゾンビ」を頂点に、序々にそのモテベーションを下降させ、現在では引退あつかいされている、かつての巨匠だ。
そのロメロの久々の新作が「恨み」だ、近く公開された「アメリカンサイコ」に酷使している、というかパロディなんだろうけど、人生無目的の冴えないヤッピーが、ある日突然顔を無くし、変わりに能面みたいに白い仮面が顔に張り付いている、そこから突然「魔太郎が来る」にシフト、今までコケにしていた奴らをブッ殺していくというストーリー。
これが完璧に狂って殺人を犯すのではなく、理性と闘いながらも殺していくのがロメロらしいが、見ている方にはカタルシスはない、展開が遅くていらいらしてしまう。
物語は後半はまるで「ダークマン」みたいなアメコミのパロディな感じになり、もう映画的にかなり破綻している、馬鹿パンクバンド、ミスフィッツが延々とライブするパーティの中で、それなりに展開していくのだが、どうにもショボい、大体顔が白い仮面になったから強くなったとかそういう要素が全くないのが致命的に欠陥だと思う、ようするに仮面をはめて気が強くなったヘタレヤンキーの妄想で終わってる。
ヘビメタが流れるどーにも駄目なラストで、見なきゃよかったと激しく後悔する。
「小さな目撃者」
アムステルダムを舞台に、殺人現場を目撃した口のきけない女の子と犯人とのスラップスティックなバトルが楽しい佳作。
主人公が口のきけない少女という設定でサスペンスものなるのかと思いきや、この少女が実にしたたかに賢く反撃をする、知恵の足りない殺し屋との追いかけっこがまるで「トムとジェリー」の様だ。
といっても、脚本は練りに練られているし、綿密なロケハンによる夜のアムステルダムの照明効果、デパルマを思わせるカメラワーク、サスペンスのツボを全て押さえた一級の演出である。
同じく子供と大人が馬鹿騒ぎするだけの「ホームアローン」なんかとは比べるのがもったいなくいらい、まったく資質が違うちゃんとした映画になっている、ひと騒動あって警察に見つかって、さあ安心と思ったら大間違い。
後半は、観客は全てを知っていて、主人公達は何も知らない、そして犯人が忍び寄っていくという「ヒッチコックの爆弾論理」(球場に爆弾が仕掛けられている、球場の客はそれをしらないで応援しているが、映画を見ている観客はそれを見てさらに緊張するという演出法)をきちんと踏襲している。
ラストでは、駄目出し的にウイリアムハート演じるお父さんが大活躍、モチロンちゃんとオチをつけて物語は完結し、ラストは空撮という完璧さ。
なにか、同時上映で付いている映画を見たら、メインの映画より面白かったという感じの作品。
マリリンマンソンとおぼしきロックスターがホテルの上階を貸りきっているという設定が効いているが、マンソン自体は馬鹿にされてて、ファンにはお薦めできません。
「フェイド・トゥ・ブラック」
映画マニアの青年が場当たり的に殺人を犯していく、ブラックコメディ、コメディというにはあまりにも哀愁が強すぎる。
主人公の青年は叔母と二人暮らし、映画をひたすら愛し、友達も恋人も何もない、障害者の叔母にはいつもムチで虐待され、映画を夢見てハリウッドで働くのだが、職場でも馬鹿扱い、やっとナンパに成功したかと思うと、デートをすっぽかされ、娼婦には「お前なんか男に見えないんだよ」とからかわれ、叔母には大事な映写機を破壊され、ついにタガが切れる。
叔母を殺してから一転、主人公はドラキュラとか、映画のキャラクターのメイクやコスプレで夜の街に出没し、そして、犯すつもりはない殺人を重ねていく、この場当たり的なのがまた可笑しく、それ以上に悲しい。
転倒して死んだ情婦の血液をドラキュラのつもりで顔につける場面の主人公の昂揚と悲しさ、その孤高の魂が、本来コメディであったストーリーを孤独な殺人者の内面を描く傑作へと変えていく。
しかし、本来B級コメディとして制作されていたのだろう、心理学者が登場し平行して描かれるのだが、この学者、ハーモニカをふいてドラッグやって女警官と性交して、結局何の役にも立ってない、本来ならこの学者が孤独な青年の悲しい犯行を暴いていくのだろうが、全く暴かない、ここらへんが破綻している。
まあ、映画的に失敗なのかどうかはさておき、やはり、純粋に映画を愛した青年の破局としては申し分ないラストである、オーケンが「この映画を見ながら映画館の闇の中で死ねたら幸せだ」と言っただけはある。
本当に映画が好きなだけの青年のピュアな魂は痛いほど、痛すぎるほど伝わる、これはまさに「マニアの受難」だ、甘んじて受け止めるしかない。
だが、僕らは純粋に映画が好きで、幸せになりたいのだ、それだけは分かって欲しい。
「スキゾポリス」
「セックスと嘘とビデオテープ」で天才監督登場と言われて一世風靡したスティーブンソバダーグ、しかしその後の意欲作「カフカ」が興行的に大失敗し、イキナリ鬱のどん底へとたたき落とされたそうだ、そんな時にも彼は映画を撮っていた、低予算で個人的でミニシアター向けの実験作を、その中の代表作がこの「スキゾポリス」だ、ストーリーはもはや説明不可能、なんとなくだけど、インチキ宗教の教祖のインチキ演説の原稿を書くはめになった主人公(監督自身)の災難を軸に、ノーズアーミを名乗る掃除屋(監督本人)、不倫に悩む歯医者(監督本人)、そして教祖も監督自身が演じている、要するに自己分裂の話なのだ。
ストーリーはあって無いようなもので説明は出来ないが、ソダバーグの後の突破口となった、手持ちカメラ&映像のリピートは確立されてる、物語は複雑に絡み実験的に進行する。
例えば、主人公と妻の会話が後半、言葉はいらないという理念によって突然日本語になったりフランス語になったりするのだ、この映画、テレビで吹き替え放送する時にどうしたらいいのだろう?
放送される可能性は無いので心配する必要もないか。
モンティパイソン、ルイスブニュエルの映画を現代風にしたような感じだ、そういえば「カフカ」もモンティパイソン風だった、個人色が強過ぎてみていてかなり退屈になるのが欠点だろう。
後に活躍するのでいいとして、僕は初期ソダバーグがかなり好きでそのモラトリアムな、ハルハートリーみたいな、永遠の浪人生みたいな姿勢は羨ましいと思うし、かなり好きだ。
ソバダーグは実はイエスというブログレバンドのライブビデオを見た時から知っていた、MTV世代なのだ、そして「カフカ」もテリーギリアムに匹敵する才能として僕は評価した、だが世間は違ってた。
その後、全く違う方法論で復活した監督は凄いと思う、もはやモンティやブニュエルなんてかけらも残ってない、彼は一流の個性派監督として見事に返り咲いたのだ。
この映画は面白くなかったけど、でもおめでとうと言いたい、凄く。
「丑三の村」
戦時中に実際に起こった事件を元に映画化、後の「八つ墓村」の原形ともなった作品。
ただし、実際に事件が起きた津山ではなく、舞台は奈良の山奥になっている、これはさすがにこの陰惨な話を岡山弁でやると本当にシャレにならないとふんだのだろう、関西弁でキツいキツい物語が展開されている。
主人公の犬丸は、排他的な村で天才と呼ばれている青年、ところが肺病を病み、試験には落ち、徴兵検査にも落ちる、戦場で兵士として国の為に闘う事を夢みていた犬丸のプライドは崩壊し、村人は突然犬丸を無視しはじめる、村はほとんどが親戚同志で近親相姦を続けている、その村のしきたりに気付いた犬丸も夜ばいを試みる、更に、夜ばい目的で村に来たよそもの達は村人に虐殺され、首吊り自殺にしてたられる、村はそうやってよそ者を排除し、近親相姦を続けながら生き延びて来た。
孤立し、相思相愛の恋人は当然のように政略結婚し、飼い犬しか話し相手のいない犬丸は、やがて銃を仕入れ、村の地図に「犬丸の戦場」と書き、村人に復讐する機会を伺う。 犬丸がサイコキラーでなく、常識人で軽い口調なのがまた辛い、恋人から貰った首輪をさげて「皆様方、今に見ておれでございますよ」と呟く場面の高揚感が最高だ。
結婚した恋人に「犬丸は鬼になります、さよならでございます」と最後の手紙を書き、懐中電灯を頭に括りつけて、フンドシしめて、軍服着て、ライフルと日本刀で武装し、虐殺を決行する場面は、狂気というよりも、純粋にわくわする、もはや観る側のモラルも崩壊していく。
「結婚おめでとさん」
バンッ!
そして、村人を片っ端から殺して行く、これといった音楽もなく、本当にリアルに犬丸が虐殺を続けていく、それは正義の為なのか、今となっては分からない、誰が悪いのか、何が悪いのかそんな観念はすでに無い、ただスイッチが入り、村人が殺されていく。
これは、きっと三島由紀夫だ、三島の切腹もきっとこんな暗い興奮の中にあったのだろう、今でも三島が狂人だったのかは分からないままだ。
そして犬丸は血まみれで恋人に別れを告げて自殺する、最後の台詞がまた軽くて効いている、「映画秘宝」で「狂い咲きサンダーあぜ道」と評されただけはある、少年の心は暗く燃え上がるばかりである。
「青春の殺人者」
「太陽を盗んだ男」のゴジさんのデビュー作だ、もちろん鮮烈で悲しくて、でも一級の青春映画になっている。出だしがとにかく素晴らしい、子供の様にふざけあう水谷豊と原田美枝子、雨の中を傘をさして実家へ向かう水谷豊、トラックが通過して水たまりの水しぶきが全身にかかる、そしてデビュー前のゴダイゴのソフトロックをバックにタイトルがデーン!と、かっこいい!これだけでもはや傑作と思えてしまう。
両親を殺した青年の彷徨を描く作品だが、父親と口論になるが実際殺す場面は無く、後にカットバックで序々に登場する、血まみれの父親の死体の前に現われた市原悦子の母親が凄い、息子を独占したいが為に「こうなる事をのぞんでいた」と言い出し、そして「これは一家心中よ」と息子まで殺そうとする、そして逆に殺されるのだが、まるで息子に殺されるのを望んでいるかのように「痛くしないで」と言い、刺されて「痛い! 」と叫ぶ、この生々しさはなんだ。
両親の死体を捨てた水谷原田のカップルの逃避行になるのだが、やたら口論が耐えない道中、水谷は頼り無く「よせよ!」を連発、童顔の原田が健気な少女を熱演しているのだが、見えかくれする女としての魔性が微妙で上手い、物語は回想し逆行し、しだいに主人公の殺人動機だのトラウマだのが暴かれていく、海岸で殺した両親の幻影を見て大泣きする場面がまた素晴らしい。
物語は破綻してはいないのだが、どう決着をつけるか迷っていて、その撮影中のジレンマが画面に焼き付いている、そういう意味でラストは曖昧であるが、なんともやるせなく、寂しく、そんなのってないよーって言いたくなるが、それがATG映画というものなのでしかたない、逆に、こういう映画が撮れる豊かな時代があったのだと懐かしく思う。
特典のゴジさんのインタビュー映像を見れば、その映画の裏舞台が見えて、またもう一つの「殺人者」の可能性すら見えてくる、実際この撮影はもうギリギリの即興の連続で撮りつないでいたらしい。
たとえば、一番の見せ場の焼身自殺の場面、本当に火を付けているから、水谷には本当にやばい時には「監督、もう駄目です」と言えと言っておいたのに、本人がそれを忘れていて、マジに火に焼かれながら「熱いよー!」と言うのだが、それは演技ではなかったのだ、ゴジさんという監督は、本当にそんな妙なギリギリの小さな奇跡みたいなものを集めて映画を作っている。
インタビューでは「今後あるのか俺?」と言っているが、是非「連合赤軍」を完成させて映画界に帰って来て欲しいものだ、ていうか、あのしゃべりならバラエティいけると思う。
第二の井筒という事で、テレビで制作費を稼ぐのもいいかと思いますよ。
「イベントホライズン」
米英合作のSFホラー、映画館で予告を見た記憶があるが、なんか物凄く駄目か物凄く怖いかどっちだろうなと思った。
テレビでなにげなく見たのだが、まさに「エイリアン」のゴシック感覚にアメリカ映画らしい派手なCGを足したような見事な合作ぶり、美術やデザインそして綿密で地味な脚本は英国ならではのものだし、キャストや金をじゃらじゃらかけた派手なシーンはアメリカーンなもの、これが英国映画だと暗くて最後まてもたないし、アメリカ映画だと頭の悪い娯楽作で終わってたと思う。
宇宙船内で自己の一番深い部分にある悪夢が幻覚となって船員を襲い、殺されたり、自殺したりするという風格あるホラーだ、もちろん「禁断の惑星」の引用だ、船員が残酷に殺しあい皮を剥がされたりする場面は「羊達の沈黙」だし、宇宙船自体が生きていて、死んだ人間の意識を取り込んで増殖していくという凄い設定は諸星大二郎の「生物都市」からの引用かも?
船員達が幻覚に殺され、追い詰められ、それでもなんとか生き延びる姿が実に生々しい、最後のあたりはもはや「悪魔のいけにえ」状態になってる。
自己の最も暗い部分を描き出す映画といえば「スキャナーズ」がったな、「デッドゾーン」もそうか、クローネンバーグがもし大作SFホラーを撮っていたら今作に近いものになっていただろうな。
かつてダミアンを演じたサムニールが、久々にキレた役を熱演していて嬉しい。
「サンタサングレ」
アレハンドロホドロフスキー、なんて長ったらしい名前だ、かつて「エルトポ」という唯一無二の大傑作を撮り、あのジョンレノンが熱中するあまり上映権を買いとったという伝説まである。
まあ彼の死後返却されたが、そのとき儲けた金で「砂の惑星」を作ろうとするが失敗する(音楽がマグマだったので残念)、その代わりに映画の存在自体をひっくり返す「ホーリーマウンテン」を作るが、金かけた割には面白くなくて沈黙。
そんな寡黙な監督が90年代に作ったのがこの映画だ、前作ほどお金はかかっていないが、エグい映像のテンコ盛りだ、フェリーニをラテンの血で濃ゆくしたような、激シュールな作風だ、相変わらずフリークスが大挙し、大量の血糊が飛び散り、でも陰惨というよりは、カラッとした、「エルトポ」の砂漠みたいな、渇いた質感の画面だ。
話はあって無いみたいなものだが、サーカス団の魔術師フェニックスが母親に操られて殺人を犯していくが、最後には恋人と再会し、母親を殺して解放されるという物語。
それを3時間もかけてやんなよ、いいけど。
とにかくラテンのシュールは凄すぎる、ガルシアマルケスのマコンドものに酷似しているが、もう情念とか怨念とかが溢れて意味不明に画面に炸裂する、道を行くおじさんが突然耳を引きちぎって少女に食べさせようとする場面とか、もう意味を超えて暴力的とか気持ち悪いとかひとまわりしてかっこいいって思えてくる。
真っ赤な服を着たカルト集団が、両腕を切られて血の池の中で死んだ女子高生を神として崇めている設定とか、もう説得不可能だ、その絵が「サスペリア2」の子供の描く絵に似ているなあと思っていたら、制作はクローディアアルジェントだった、アルジェントの名前が付く映画は説得不可能だ。
そこがいいんじゃないー!
二十歳くらいのシュール大好きっ子はもうたまらんだろうなあ、だが成長していろんな事が分かるとねちよっと眠くてどうにかなりそうです、青春は一度だけ、こんな青春だってある。
「リストラマン」
グランジ時代の申し子アニメ「ビーピス&バットヘッド」の監督の初の実写作品、最近はアニメ作家が映画監督に転身するのが流行っているのかな。
と、そんな前置きを聞くと、とんでもない映画を想像しがちだが、これが結構しっかりとしたコメディの秀作に収まっている、ファレリー兄弟ほど過激ではないし、もちろん普通のコメディとはひと味違うといった位置にある。
リストラを恐れるシステムエンジニアが催眠療法でカミングアウト、会社には遅刻、リストラ調査員には好き勝手言いまくる、これが逆に好感度よく認められなぜか出世の道へ、納得いかない彼は仲間と大バクチに出る。
というストーリー、話は大味だが、細かいギャグが効いている。ラップが好きな白人青年が大声でギャングスターラップを歌っているのだが、それらしい黒人がやって来たら急にボリューム下げておとなしくなるとか、しかもそいつの名前がマイケルボルトンで、やたら「あの歌手とは関係あるのか」と言われてうんざりするとか。
主人公の隣の部屋の奴が、突然壁を叩いて「今テレビ付けてるか?オッパイが出てるぞ!」と言うとか、主人公の計画が上手くいかないと分かると「俺を巻き込むな」と突然おとなしくなるとか。
もーう、わっかりやすいアニメみたいな映画、元々はアニメで、主人公はホッチキスに執着する駄目オヤジ、彼は自分がリストラされている事に気付かず会社に来る、来る度にデスクが移動するなどイジメが横行というキャラ、そんな彼が脇にまわり、狂言廻しでうまくラストをまとめている。
傑作ではないが、小粒で美味しいコメディ、実際にリストラの憂き目を見た僕としては、「現実はこんなに甘くねーぞ!」と言いたいけど、映画は現実逃避の産物なのでこれでよし。
上司をコキ降ろしたい人、会社に火をつけたい人は必見です。
「アウトバーンコップ」
ドイツのアクションドラマ、クラフトワークが刑事になる訳ではなく、アウトバーンで事件が起こって毎回カーチェイスがあって云々という内容。
はっきりいって見る価値はなかったです、とにかくテンポが遅い、演出が幼稚、演技が日本人以下、まるで日本の駄目なドラマ、たとえば「あぶないデカ」とか「踊る大走査線」とか、あんな感じ。
ヤンデボンの「スピード」を意識しているのだろうが、「スピード」も演出が幼稚でどうにもならなかったが、あれ以下なので、そりゃあ酷い、ドイツってなんか日本と似てると思うんだけど、日本人の駄目なところをピックアップして見せられている気がして、見るのが苦痛だった。
ドイツも日本もなし崩しのファシズムに陥って人をたくさん殺した、そんな事を思い出してしまう。
「アポロンの地獄」
パゾリーニ、67年作。
「オイデェプス」をモチーフにしているが、実に上手く自伝を盛り込んでいる。
実は、これ、最初に見た時には物凄い衝撃を受けたのだが、今回BSで放送されて見直してみると、やはり生温い感じが否めない、その後の作品と比較してしまうし、やはり遺作「ソドムの市」が自分の中では最高作なので、まだ暴走を始めたばかりといった感じだ。
でも、最初に見た時には本当に驚いた、手持ちのブレブレのカメラ、180度なんになもない砂漠と山脈、世界中の民族音楽が次々と交差する無国籍さ、部族の仮面や、戦闘の鎧、そしてワラをかぶった怪物など、エキゾチックというより、もはやかっこいい美術センス、そして血みどろで死体が当たり前の様にころがる無常な世界観、そしてあのイタそうなラスト。
もうイッキに駆け抜けた感じで見終わった時の満足感、そうか、これがパゾリーニなんだなあ、と、なんか秘密を知ってしまった子供のようなトキメキもあった。
それが覚めてしまった今見直すと、やはり、幼稚な自伝だなと思うとこもあり、逆ギレした主人公が父親と知らずに国王を殺害する場面の爆発ぐあいは、ああ、実は青春映画なんだと思ってしった。
そこが逆に初心者には分りやすい。諸星大二郎的な有機的な残酷描写が炸裂する「メディア」、人肉を喰う場面を淡々と描く「豚小屋」、そして「ソドム」へとなだれ込む最初のきっかけの作品だ。
パゾリーニの暴走を体験したい人は本作から見て欲しい、本作だけではまだ足りない、DVDでボックスにしてもいい、あとサントラが存在すれば欲しいとこだ。
「プルード怒りのメタファー」
またクローネンバーグだ、クロネン映画ばかり見てる気がする。本作は79年、大金かけたカナダ版ゾンビとして制作された「ラビット」が大コケして、予算縮小で渋ーく撮られたホラーの小作。
ホラーというより、科学オカルトものと言うべきか、実はこの映画も10年前、高校生の時に見ていたのだけど、当時は「ビデオドローム」のあのインパクトが強くて、それにくらべると地味な映画だな、という印象だった、はっきり言って話もうろ覚えだった。
という訳で、10年後にしっかりと見直してみると、やはり単調な感じはいなめないが、70年代の格調あるホラーの空気は保っている。
主人公の妻は、例によって怪し気な病院で怪し気な治療を受けている、そして主人公のまわりで殺人事件が発生し、犯人はヘソの無い奇形児で、死体として発見され事件は解決したと思われたが。
今度は、主人公の娘を奇形児達がさらい、主人公は奇形児達と闘う為に病院に向かう。
感情による肉体変容というテーマで、まるで楳図かずおのホラー漫画のような陰うつなトーンで物語が進んでいく、テーマ的にもクロネンと楳図はかぶっている。
そして本作の注目する点は、低予算ながらホラーとしても筋が通っているし、SFとしてもキチンと筋が通っている、そしてまぎれもなくクロネンの映画になっている。
奇形児が殺人を犯して、血で染まった手で、真っ白い階段の手すりを一瞬掴み、そして離すと、真っ赤な手形だけが残る場面の鮮明な印象、クロネンのこだわりが垣間見れるシーンだ。
この作品で自信をつけたのか、その後はアメリカに渡り、「スキャナーズ」を撮りあげ、帰国後は80年代ホラーの方向を決めたと言っていい大傑作「ビデオドローム」、再びアメリカでキング原作の大泣き傑作「デッドゾーン」と大活躍する。
そういえば、本作の出だし、医者が患者の深層心理に親しい人物として入り込む演劇のような場面は、そのまま「スキャナーズ」の相手の深層心理に潜りこむ描写に受け継がれ、さらにそれが、電話回線を伝って話し相手の精神にまで入り込むという「ビデオドローム」のサイバーパンクにつきぬける布石になっている気もしてくる。
ずーっとクロネン映画を見て来たが、なぜか制作がメルブルックスやアイバンライトマンとか、陽気なカナダ人が多いのが不思議、「アメリカンナイトメア」に出た時のクロネンもインテリ口調でセックス、セックスって言ってて、実は単なるスケベな人なのではないかと思ったりした。
「オー!ブラザー」
アメリカの安心ブランド、コーエン兄弟のコメディ、コメディというか、寓話というか。
30年代の西部を舞台に、脱獄した3人のボンクラオヤジが奇妙な人物や状況に巻き込まれながら、財宝探しの逃避行を続けるというのがおおまかな話。
主演は、ERで島耕作ばりにモテモテの役でお馴染みのジョージクルーニ、だけどERの二枚目からは程遠い情けない奴、一緒に脱獄した二人もどこか抜けていて憎めない。
「ビックリボウスキ」でもそうだったけど、コーエン兄弟のコメディは必ず役立たずの駄目男が主役だ、本人は愚かで純粋で社会的には弱者か、落伍者だ、そして脱獄、悪魔というキーワードがいつも出てくる、「赤ちゃん泥棒」も脱獄の話だ、「ショーシャンク」も、そしていつも超然とした悪魔の様な絶対的なキャラクターが出現する、とりとめない話をまとめるには絶好の設定だ。
今回は「クロスロード」で悪魔に契約した黒人ギタリストが登場し(有名なブルースの伝説ですね)、その悪魔がどこまでも追いかけてくる。途中金目当てでいいかげんに録音した「ズブ濡れボーイズ」のレコードが大ヒットする設定は「未来は今」の「フラフープ」と同じだ、今回もやっぱり主人公を運命が凌駕し、そして悪魔にどん底までたたき落される、そう、そしていつも底辺から主人公はとんでもないデウスエキスマキナでもって救われる、今回はどんな強引な手で救われるのか物凄くわくわくする。
そしてやはり、救われるのだった、ものすごく回りくどく、やはり強引な設定でもって、それなりのラストに収まっていく、そこがコーエン兄弟の力技だ、映画の持つ魔力といってもいい。
Tボーンバネットの音楽も渇いてて優しくて染みるブルース&カントリーのスタンダードばかりで、これはサントラも是非手に入れたくなってしまう。
「ズブ濡れボーイズ」のクルーニは吹き替えだ、やっばり。そして躁鬱の銀行強盗が牛を虐殺する場面があるが、全部CGで実際牛には危害は加えていないという事だ、カエルも潰してない、とクレジットにわざわざ出るのがまた楽し。
しかし、この作品が単なるコメディに留まらないのは、やはり寓話としてまとめてあるからだろう、テーマはずばりこうだ、アメリカの神話時代の崩壊だ。ジョージクルーニがセコいくせにやたらインテリぶるのもおかしいが、根底には、30年代の南部アメリカのある種の神話、それがブルースやカントリーの音楽を通じて伝説めいて描かれる、特筆するのはKKKによる黒人処刑場面だ、こんな生々しい場面もマヌケなコメディにしてしまうのはさすが、避ける事の出来ない残酷なアメリカを暴きながらもマヌケな寓話として最後までつき通す、ここにコーエン兄弟のコメディサイドの魅力があり、それが支持されているのも痛快だ。
次回作「バーバー」では、再び寡黙で男気溢れる静かに熱い映像が見れるらしい、安心して期待できます。
「ヤンガリー!怪獣大決戦」
韓国の「ゴジラ」と呼ばれている人気怪獣「ヤンガリー」を、ハリウッドの俳優と最新CGを使って仕上げた超大作、制作費15億円。
しかし、そのわりには脚本が幼稚でどうしようもない、ヤンガリーが復活するまでの30分は、拷問みたいなタルい展開で、役者もやる気がなくて辛い、「こんなアジアにまで来て怪獣映画に出て、あたしももう落ち目ね」みたいな悲しみが画面からにじみ出て来ている、実際そうだし。
ヤンガリーを復活させる宇宙人も信じられないくらいショボいです、ライダーの怪人の方がリアルかなってくらい、ただCGだけは気合いが入ってて、その落差がまた気持ち悪い。
だが、ヤンガリーが復活してからはCGと韓国空軍が気合い入れてます、話はもうどうしようもないのでここで燃えないとレンタル料の元を取れないので強引に燃えなくてはなりません。
ヤンガリーはCGだが、アメリカのゴジラと違って、中に人が入ってる感じがするし、ミニチュアも爆発しまくるし、韓国空軍が背中にジェット背負ってライフル撃ちまくる(効果ゼロ)、「少林サッカー」もそうだが、実に日本のアニメ感が満載だ、そこが最大の見せ場だ。
しかし、やっぱり金子ゴジラにくらべたらガジェット感も落ちるなあ、アメリカのゴジラよりは確実に面白いけど、やはり日本はもっと怪獣映画を作るべきだと確信した。
「血を吸う宇宙」
でた、「発狂する唇」の続編、大体「発狂する唇」も何が発狂なのか、唇なのか分からないまま、殺戮カンフー大会で終了する迫力のシュール映画だった、全く意味が無いまま突き進む姿勢には、晩年のブニュエルを見たね、嘘だけど。
今回も全く同じです、「血を吸う宇宙」といっても「宇宙」も出ないし、血も吸わない、一応、宇宙人による侵略がテーマらしいが、侵略もしてない、亀山パンチと名乗る政治家が主人公にセクハラをするのが侵略なのかもしれない、「霊的逆探知」「逆行催眠」「行け!使い魔達」など、前作でも多様された意味不明なセリフが炸裂、やたらカメラ目線だし、「トイレ貸して下さい」といった瞬間家が空を飛ぶというシチェーションはまさに発狂してます、インチキ臭い阿部寛の背後でくるくる回ってるのがもう最高。
阿部寛も「大丈夫、インチキじゃない」と言いながら出現するし、また演歌を歌う場面があるし、もう作った人も見てる人も誰もついて行けない、ただ映画だけが時間とともに暴走していく感じ。
そしてまたカンフー大会炸裂、今、日本で一番先鋭的なミュージシャン、ゲイリー芦野による脳みそが溶けそうな音楽も最高だ。
何もかも前作と同じだが、前作以上に無茶でショボい傑作になっている、中原昌也が大絶賛するのも分かる、はっきり言って悔しい、日本でこれほどいいかげんな映画が作れるのは凄い事だ(アメリカのキャンプムービーともまた違うテイストだ)。
もう見てくれといか言えない、そして前作も見て欲しい、ここまで壊れた映画も無い、「マユミー!」の絶叫がまた痛い、しかしこれ、まだ続くのだろうか?怖いような、嬉しいような。
いや、応援してます、阿部ちゃん最高!
「スパイダーマン」
馬鹿だ、物凄く馬鹿映画になってる、でも面白い。
最近ダウナーな映画ばかりのサムライミにとっては、もう久しぶりにはじけたアメコミ映画、大体サムライミのデビュー作「死霊のはらわた」はその残酷描写ばかりが話題になってホラー監督と呼ばれていたが、いやいや、デビュー作からして血糊にまみれたトムとジェリーというか、スラップスティックかつコミカライズされた演出が素晴らしかった、そしてコーエン兄弟と組んだ「犯罪の波(XYZマーダーズ)」、そして「ダークマン」「クイック&デッド」と、作品を重ねる毎に馬鹿らしさとコミカライズに磨きがかかり、そしてついに「スパイダーマン」の登場となった。
これが、ライミらしく主人公はボンクラ、蜘蛛に噛まれて超能力を手に入れたのに、女の子の気をひく為にプロレスのバイトに挑戦、しかもバイト代を踏み倒される、なにやってんだ、しかしそれが伏線となって、主人公に父殺しというトラウマを埋め込ませる展開はなかなか。
そういえば「クィック&デッド」も幼少に父を殺したトラウマをかかえる女主人公と、逆に父性を持ちつつ自分の息子を撃ち殺してしまう悪役とのドラマが見事に盛り込まれていた。
今回も、根底にはエディプスコンプレックスが見えかくれしているが、はっきり言ってそんな事はおざなりになっている、敵役のグリーンゴブリンはウイリアムデフォー演じる天才化学者にして実業家、自分の作った筋肉強化剤を服用してジキルとハイドみたいに凶暴になったりおとなしくなったりする、実はこれ「ダークマン」と同じだ、グリーンゴブリンの仮面よりデフォーの素顔の方が怖いのが残念なような素晴らしいような、しかしデフォーの息子もたいがいだ、家に帰ったら父親が部屋で「うはははは」と悪役笑いしているのに全く気付かない。
たいがいと言えば、ヒロインもどうだろう、心身ともにブサイクだ、男が車で迎えに来たら「きゃー、超ステキー」と言ってハコ乗りするのはどうだろう、スパイダーマンと雨の中逆さキスするのだが、あれ、スパイダーマンの鼻には雨水が入ってんだろうなあ、がまんしてんだろうなあ。
昔「スパイダーマンVSカンフードラゴン」という映画があったが、その映画も超能力を身に付けた主人公がスパイダーマンの服を自分で作ったりするDIYな映画だった、伝統なのか?
ほんとツッコミどころ満載だなあ。
スパイダーマンが全部CGなのでなかなか素直にかっこいいと思えなかった、最近無理のあるCGが蔓延している気がする、実写部分とのギャップもあって、ラストなどほんまに蛇足、まあテロで見せ場であったツインタワーが無くなってしまったので、急遽撮り足したんだろうな、アメリカの旗でポーズを決めてエンド。
いや、面白かったんですよ!本当に。
「少林サッカー」
面白い、面白い、って誰からも言われて観に行ったら、その予想を超えて面白かった、まさに傑作。
オタク俳優チャウシンチーが、前作「食神」で露骨に見せた「ミスター味っ子」のリスペクトぶりをさらにエスカレート、日本の根性アニメと少林拳と香港人情喜劇をぶつ切りにして強引にCGを使って再構築した感じか、とにかく欠点が見つからない映画だ、スタッフもキャストも乗っている感じがする。
で、現時点で何に心が揺さぶられたのかと言うと、かつて日本が持っていた貧乏の美徳と決しておごらない姿勢だ、ただ単に努力と根性のドラマではない、そこには基本的に愛と慈しみがある、この映画をアメリカでやったら「メジャーリーグ」だ、物凄く分りやすいステロタイプのストーリーで、物語の起伏も観ている側があらかじめ予想できる、だが、この映画は予想を超えて展開する、展開の間にどうしても突っかかる、一筋縄ではいかないものがあるからだ、身体的特徴を武器にしたギャグとか、どう考えても異常なキャラだの、そこまでやるかのドギツイ、そしてベタなギャグとか、吉本のギャグを100倍濃くしてしかも泣かせどころを忘れていない感じだ、吉本も昔は必ず最後で泣かせていたなあ。
香港映画に特有の極端な描写も、今の駄目ムードの日本には刺激になっていいと思う、ドン底から這い上がっていく無垢なチーム、そしてマニアックで馬鹿らしいギャグとCG、日本にもアメリカにも出来ない実に人間的な演出だ。
その馬鹿なCGばかりが話題になってるけど、実はCGは添え物で、いや、もしろ逆にストーリーの邪魔になってる気がする、本質はドラマで、ドラマが勝ってる、先日観た「スパイダーマン」も面白かったけどドラマとCGが分離していてその意味では失敗作だったと思う、ところがこの作品がCGとの融合が、最初からCGの部分は馬鹿とタカを括ってて、それが成功に向かったのだと思う。
実際、ラスト、もう絶体絶命の展開で、信じられないデウスメキスマキナのCGと共に物語は逆転する、この発想が素晴らしい、実に良く出来た脚本だ、そしてそれを凌駕する馬鹿CG、「ニューシネマパラダイス」じゃないけど、場内の観客が一体となって大爆笑してしまった、まさにこれが映画なんだなあ。
「食神」
そのチャウシンチーの前作、これは「少林サッカー」にくらべるとCGも無いし、予算も百分の一くらいだろう、単に「ミスター味っ子」を俺流に実写でやりたい。という意志だけで出来ている映画かも知れない。
チャウシンチーは元々幼児番組のお兄さん役で登場して、いかに子供を笑わせるかという問題を抱えていた、彼のアニメ好きはそんなとこから発しているかもしれない。
そして香港のこの時期の映画にありがちだが、馬鹿でしかも人情を忘れないというテーマを踏襲している、最近になってようやくスタイリッシュとか言われる作品が出始めたものの、やはり香港映画の本骨頂はそのベタさとあか抜けなさ、マシンガンみたいなしゃべりと、何よりも熱い人情である、日本の人情はもっと貧乏臭いが、香港はパワフルだ。
実はこの映画「少林サッカー」と全く同質だ、やっぱりブサイクなヒロインが出て来て整形して美人になったり、やっぱり主人公がドン底まで落ちて這い上がったりして、しかも貧乏と金持ちの対比が極端だ、そして食と関係ない少林拳が強引に融合されている。
チャウシンチーは例の笑顔で実に魅力的だ、映画は低予算で悲しいとこもあるが、なんというかパワーが勝ってる、これが認められて「少林サッカー」に至ったのだ、そう思うと映画の出来よりも監督の人間性が信じられる、そういう映画だ。
そして日本のアニメもやはり再評価して欲しい、今川さんの「ミスター味っ子」は、世界に通じる傑作アニメだと言いたいよ。
「ミスタービーン」ミスタービーンの映画化である。はっきり言ってイギリスにいるところまではいつもの「ビーン」でかなり笑えた、ミニを駐車禁止に止めて、作り物の足とネジ止めをばらまいていくとこなんか、説明するのが面倒だけど、もう一瞬で分かる素晴らしいギャグ。
思えば、ビーンのアトキンスさんは、元々インテリで、演劇青年で、オフでは凄く知的な男性だ、モンティパイソンを目指しているという姿勢も素晴らしい。
だけど、この映画、オリジナルビーンの魅力とは正反対の位置にいる。
ビーンがアメリカに行くのだが、これはアメリカとイギリスの異文化のギャップをギャグにした「ワンダとダイヤと優しいやつら」を踏襲いするテーマでいいと思うのだが、アメリカでのビーンの扱いが、なんか「ET」みたいなのだ、リアリティがまるでない。
異星人ビーンが次々とトラブルを巻き起こし、そして解決してハッピーエンド、そして附随するテーマはアメリカは家族を大切にするという、スピルバーク的なステロタイプなアメリカンファミリーを賛美して終わりって感じで、ビーンは変なイギリス人って役で終わってた、なんかいいようにアメリカの映画会社に使われて終わった気がする。
なんか無性に腹が立ったのだけど、オリジナルビーンのシリーズはすごく知的で馬鹿でいいと思う、こういうオフビートでややかた苦しい感覚が好きなんだな、どう考えても矛盾している要素が内在していて。
テレビシリーズを映画化して成功した例は無いですね。
「遊星からの物体X」
81年制作、82年公開、同時期に「ビデオドローム」が公開されている、クロネーンバーグもカーペンターもこの頃が一番脂が乗っていていい仕事をしていたと思う。
で「物体X」だけど、やはりカーペンターの作品ではベストだと思った、初めてのメジャー配給作品で、まだインディ魂が残っている、そしてテーマが重い。
この頃は、SFXホラーというジャンルがまだあって、それは素晴らしい作品が次々と発表された、SFXアーティストという人達が切磋琢磨してどんどんエスカレートして、80年代後半に自然消滅した。なにごともやりすぎはイケナイという話だ。
そんな旬のSFXが今観ても全く色褪せないどころか、逆にリアルだ、今のなんでもCGにしてしまう感覚からは信じられないほどアナログな手作業で(実際劇中にコンピューターが出てくるがモノクロのドットの粗い画面で驚いた)、それが重く暗い画面と相まって凄く生々しい。
大体、頭が伸びて千切れて、目玉と足がニョキッと生えて、トコトコ床を歩いて逃げていくなんていうシチェーション、どうやってもギャグにしかならないのにこの映画ではキチンと怖い、そこが凄い。
CGでは何でも出来るが、やはり感情とか質感、空気、におい、温度までは表現できない、全て手作業でやる事で「ウルトラセブン」じゃないけど、念みたいなものが画面から溢れている、それにやられてしまう。
出演者の緊張感、生々しさも尋常ではない、DVDの特典映像で分かったのだが、スタッフ、キャスト共にアラスカの氷河の上のセットに閉じ込められての撮影だったという事だ、お互いが協力しないと事故になるくらいの危険な現場で、それぞれの連帯感や緊張感が画面に生々しく反映されている、これも成功の要因の一つだろう。
興行的には成功しなかったけど、後にカルトムービーとしてビデオでヒット、そしてCGが当たり前の現在見直すと、カルトムービーというより、古典というか、名作の一つに入りそうな見事な作品に思えた、この後のカーペンターはどんどんこじんまりとまとめる監督になってしまい残念だが、メジャーの金を使ってインディの自由な方針で制作された本作は、後にも先にもない、やはりカーペンターの最高傑作。
「スカーレットディーヴァ」
ダリオアルジェントの娘、アーシアアルジェントの監督作。
デジカメの高感度撮影によるせわしない映像とけだるいシカゴ系の音響、父親ゆずりの原色のライティング、インモラルな女優達の生活がポップにエロに生々しく進んで行く。最近蔓延している駄目系のデジカメ映画とは一線を超えている。
アーシアアルジェントって「スタンダールシンドローム」では演技が出来ない娘と烙印を押されたのだけど、本作では叫び、吐き、泣き、全身で曝演している、意外にもいいぞ、こんないい作品がポルノムービーの棚に置いてあるのはどういう事だ。
女優達が地獄を見ながらも、奔放にタバコを吸って、セックスして、旅をして、そして夢を愛を求めていく、大人の少女漫画?トキメキなレディコミ?岡崎京子の漫画の続き、無責任ガーリームービー「ひなぎく」の、その後が見れるといったら見たくなるでしょ。
退廃的な美青年のロックスターとエッフェル塔を見ながら不可能な恋が進行して行く、走って走って、足元が星みたいにキラキラして、凄い痛くてロマンチックでいいっすよ。
しかしラストではズッコケた、エンディングの子供のイラストが怖い、イタリアの血はやっぱり凄い。
「7人の侍」
初めて見た、すんません。
クロサワと言えば、なんか分からんけど大作で芸術で時代劇というイメージがあって、僕はそれほど見たいという欲求にかられる事はなかった。実際見たのは「どですかでん」「夢」「用心棒」「椿三十朗」そして本作。
感想としては長かった、無駄に長い、確かにテンションは異常に高いし、分りやすかった、黒澤が海外でも、特にアメリカで評価されたのはこの点だと思う、黒澤のチャンパラ映画は駆引きが上手く冷静に敵を研究し、少人数、もしくは個人で確実に勝利する、「用心棒」だって、どっち付かずでお互いの勢力をコントロールしていく様が見どころだった、それは戦後のアメリカの戦闘哲学に取り込まれて行った(のか?)。
しかし、本作をアメリカで作ると「荒野の7人」になったり「宇宙の7人」になったりする、そうなると黒澤にあった「日本的戦闘」は全く失われている、つまり黒澤は日本の「集団」を基本として、精神的に気を使いあいながら、冷静に闘っていく「日本人の戦闘意識」を描きたかったのだと思う、それは多分「太平洋戦争」における日本軍の戦闘方法を受け継いだものではないかと推理する。
黒澤は日本の精神的戦闘に憧れ、しかもそれがナショナリズムに蝕まれて破壊されて行くのを体験し、そして全ての論理が崩壊して焼跡からまた復興する日本を見て来た、それが映画と密接に関わっているのではないか。
「素晴らしき日曜日」「どですかでん」は戦後の焼跡から復興する日本の生命力と、そのしたたかさを愛おしく描いている、「生きる」は戦争で捨てるはずだった命を公園を作る事でまっとうさせ、日本人としての美意識を描き、同時にその脆さ、あっけなく崩れてしまうあやうさを危惧させた。
というと推理し過ぎなのかもしれない、「7人の侍」の組織のあり方、様々を人間をうまく「和」をもって統べる体勢、なんていうか、ざくざくしながらも目標に向かって協力して闘う姿勢が気持ちよいのだ、そしてそれが「荒野の7人」には無いのだ、役者が目立つがどうか、そして勝利するかどうかが基準になっている。
黒澤が世界に評価されたのは、その「負」の部分だけだったのかも知れない、確かに、二元論としての黒澤映画は分りやすくて面白い、だけどその根底にある精神は「和」の精神だと思うのだ。
ある種口では説明できない高揚感というか、たぶんそれが「民族性」だと思う、だから黒澤の映画は文句なく強い、だから海外で最初に評価されたのだと思う。
見てて「7人の侍」のテンションはもう2度と出せないと思った、そしてその後も黒澤は傑作を撮り続けるが、やはり「7人の侍」のような特別の空気を持った映画は作れなかった、それが傑作たるゆえんなのだろう。
「トラウマ」
90年代に入ってかなり失速した感のあるダリオアルジェントの作品。
といってもメイクはトムサビーニだし、全編英語で作られてて、本人的には勝負作だったのかもしれない、確かにストーリー自体はよかったし、演出もよかった、いや、演出に関してはいつものダリオアルジェントだった、やはり犯人は黒い手袋をしてるし、展開は適度に破綻していてスリリング、だけど何かが違う。
決定的なのは音楽だと思う、ダリオアルジェントと言えばゴブリン、ゴブリンの音楽無くしてアルジェントの映画は成立しない。本作は米国市場狙いなのか知らないが、音楽もやけに米国向きになってた、はっきり言うと「トムとジェリー」のおっかけっこの時の様な愉快な音楽が全編に流れる、画面と全く合って無い、せっかく首切断マシーンなんて素敵なアイテムが出てくるのに、音楽は「トムとジェリー」だ、台なしもいいとこだ。
思うに身内で固め過ぎたのだろう、主役は娘のアーシアだし、音楽もなんとかアルジェントという親戚らしき人、制作も脚本も全部身内だ、成功した監督の悪い癖だ、身内で固めると新しい血が生まれない。
しかし、アーシアアルジェントはなかなかの熱演だ、次作の「スタンダールシンドローム」では演技してないとまで言われたのが嘘みたいだ、そして映画自体もあの大傑作「プロホンドロッソ」のリメイクではないのかという程アルジェントだ、予言者、殺人、母と子、主人公が謎の館に唐突に侵入するくだりもまったく同じだし、母親の首が切断されるのも全く同じだ、くわえてテーマである、母と子の「トラウマ」の描き方も、そりゃ職人監督にとっては笑われるかもしれないが、独特で追随を許さないというくらい生々しい、さすがアルジェントだ。
トムソビーニのメイクがいかんせんわざとらしかったのも悪かった、ストーリー同様もっと生々しくてもよかった、そしてラストで突然カメラがパンして、レゲエバンドの演奏が映るというのは恐ろしいほどシュールだった、普通の映画だったらなんでもない終わり方なんだろうけど、アルジェントがやるとなんか違和感がある、そんな陽気で終わっていいのか!と言いたくなる。
とはいえ、やはりアルジェント、そこらの監督では撮れない狂った映画ではあった、吉本ばななが絶賛するのも分かる、映画の完成度ではなく、チャンネルが一つ違ったとこにこの映画の本当の魅力があるのだと思う。
「レスザンゼロ」
何にも無いよりマシだ。ゼロ・ジェネレーションなんて言葉も生まれたオーストラリア発の青春映画。
簡単に言えば「ビバリーヒルズ青春白書」の原形だ、アレをはじめてやったのがこの映画であり、その原作の小説だ、舞台は80年代後半のバブル絶頂期、馬鹿馬鹿しい音楽とディスコ、金持ちの馬鹿息子&娘が、親の金でドラッグでパーティで死ぬ程自堕落な生活を送っている。
そんな訳でいい訳ないじゃん、主人公は、ブルジョアの出身ながら自滅し勘当され男娼にまでなりさがった友人を救うべく元彼女と奔走する、この三角関係がまたいいのだが、やはり、あまりに時代が甘やかし過ぎてて見てても当然じゃんと思ってしまうとこがある。
逆に言うと、あらかじめバブル経済にいた青年たちの心象が浮き彫りにされているというのが魅力だ、マドンナの曲でもあった「マテリアルガール」、そう、物質に支配されて精神に何も無い、それが80年代だったのだ。
このゼロジェネレーションの後、あのベンスティーラーの「リアリティバイツ」が登場する、Xジェネレーションという時代だ、物質から解き放たれて生身で社会と闘う若者を描いたこの映画とは全く根本から違う、ここを描かなきゃいけなかった、「リアリティバイツ」は「レスザンゼロ」の続編的な映画だが、やはり、物質と絶縁したとこにそのリアリティがあった。
残念ながら「ビバリーヒルズ青春白書」は今だに30年前の物質文明という幼稚な概念の中でドラマを作っていて、でも死ぬほど面白いのだけど、その精神は腐ってる。だから見るのが楽しみで辛い。リアリティは無いけどね。
だから、結論としては、Xゼネレーションにつぐ観念を、波を、誰か作ってくれないかと思う、特に911で世界が保守化してるから尚の事だ、みんな右翼とかネオナチとかなっちゃ駄目だよ、あんなのは人間のする事じゃない。
青春はいつだってある、その美しさと残酷さを表現するのが若者の役目じゃないか。
「星くず兄弟の伝説」
85年制作。近田春夫、原作、制作、音楽、手塚まこと監督による、テクノ歌謡ミュージカル。
良くも悪くも、いや、やっぱり悪くも、80年代のエッセンスを抽出したような濃ゆくて恥ずかしい映画だ。80年代も初期はよかった、まだパンクもテクノもニューウェイブもあった、まだ、何か世の中を変革しようとする若者意識というものがあったと思う、もちろん、それはダサくて消化不良で中途半端だったのだけど、まだ、浮かれる事が逆説的に社会に対するアンチテーゼだった時代が短くともあった、ほら、テリージョンソンとか糸井さんとか蛭子さんとか出て来た時代がさ。
しかし、その感覚は「ナウ」とか言われてあっという間に消費されてしまった、それが80年代の初期から中期にかけてのデキゴト、そんな時代の転換期にぽこりと登場したのがこの作品。
いやしかし、近田春夫の楽曲は素晴らしい、フェアライトというデジタルサンプラーの初期マシンを駆使して、チープでパンクでデカダンなニューウェイブ歌謡をこれでもかと造り出してる、これが独特のコード感と溢れるメロディ、それでいて江戸っ子気質も漂ってて、くせになる素晴らしさ。
だけど、楽曲以外の、手塚が担当した映画部分はちょっと本当に80年代の悪ノリの好サンプルとなっている、つまり、軽過ぎる、恥ずかしい、詰め込み過ぎて芯が無い、という要素だ。
押井守が降番した後の「うる星やつら」の感覚とでも言いますか、芯の無いキャラだけが立っている内輪ノリの軽いドラマというのが、本当にこの時代の共通した悪いはやりだったと思う、そしてこの映画の映画部分はまさにその悪い要素ばかりが拡大されて表現されている。
そういう時代だったんだ、でも、それで許してよいのか、今となっては分からない。
「桃尻娘」も軽かったけど、あれは、重い重いドロドロしたホモの話を、あえて軽く書く事で過激に表現する事で時代と受け入れられ、しかも時代を超えて今も評価されている。
だが「星くず兄弟の伝説」は時代がひとまわりして、悪ふざけしすぎた反省として今新しく見る事が出来る、60年代の学生運動が風化してから新鮮に輝くみたいなものかな。
一つだけ特筆しなければいけないのは、戸川京子だ、ニューウェイブの歌姫戸川純の妹として、単にカワイイからと言って登場したのだけど、いや、冗談でなく美しい、戸川京子は今年自殺して亡くなってしまった、だからよけいに美しく見える、この軽くてどうしようもない映画で、唯一ちゃんとした存在感を放っているのは戸川京子だけである、ていうか、戸川京子の一番綺麗な頃を真空パックした感じだ、そのためだけの映画だと言ってもいい、監督の才能はその為だけに機能したとしても評価しよう、素晴らしい。
近田の曲を戸川が歌う場面は一番素晴らしい、曲も声もぎこちない歌い方も、僕にとってはこの場面の為に存在してる映画だ、本当に少女は美しくて残酷ですぐにいなくなってしまう。
「アモーレスペロス」
長いよ、長い、3時間近くある。「パルプフィクション」や「マグノリア」の悪影響というか、手持ちブレカメラ、交錯するストーリー、粗い画面、ドキュメンタリータッチな作風という今の流行りを全て詰め込んでしまって単調にした感じだ。
4つの話が交わるのだけど、それなら最初からテーマを1つに絞るべきだったし、各エピソードが長くて見ていられない、緊張感が持続しない、編集して90分くらいにしたらソリッドにまとまった佳作になったろうにな。
スペイン映画の伝統なのか知らないが、やはりラストは曖昧だった、「永遠と一日」とか「ベンゴ」も曖昧だったしな、そしてスペインの映画には強い女と少年性が似合う、本作も輝いているのはそこだ。
中堅が撮った若者映画、でも説教臭いよって映画かな、日本にもそういう映画はたくさんある、微妙にかっこ悪いか、渋いのか過激なのかはっきりしないのがイライラするのか、とにかく中途半端だった。
「どつかれてアンダルシア」「ミラクルペティント」とかの方が好きだな、最近スペインもフランスに続いて若い感性の映画が出始めたってところだと思う、これからだ。
「ゴジラ」
エメリッヒのバージョン、よくもまあ、よくもまあ…言うまい。
「ゴジラ」というのは嘘で、本当は「ジェラシックパーク」です、前半は巨大ティラノサウルスがヘリと交戦、簡単に戒厳令下されたマンハッタンでしらじらしい戦いのようなものが展開、このビルはCGなんでしょうか、ミニチュアなんでしょうか、妙にショボくて、人がいないのに電気がやたらついてるし。
後半は「ジェラシックパーク」サイズのゴジラと「ジェラシックパーク」して、タクシーに乗ってゴジラの口の中に入るとこまでは憶えてるけど、ゴジラの歯に電線を当てるとびっくりして飛び出すとかそんな展開で、もう見てられない、そんな事を大金かけてやるなよ。ジャンレノだってフランスから来てるんだぞ、もーう。
良く分からないけど、なんか感動的な音楽になって、みんなが「バンザーイ!」ってやって終わった、なんかパトスが全くない、どうでもいいけど、情けない、って子供映画に文句言うのも野暮だ。
だが日本の「ゴジラ」は子供映画ではなくSFパニック映画だった訳だから、その温度差を感じるのはしかたないとこだ、エメリッヒは「スターゲイト」でもボンクラ学者を雨の中にさらしていたが、今回もそうだった、そういうとこはなぜか共感できる、そこだけだけど。
「エスケープ・フロム・LA」
今見た、テレビで、最近はジョンカーペンターの映画をよく放送するなあ、さすがテレビ東京。
本作は「ニューヨーク1997」の続編、前作同様主人公カートラッセルは眼帯かけてて、それで病原菌を打ち込まれて10時間以内にブラックボックスを持って帰らないと死ぬという設定。
新聞の見出しがいい
「俺をスネークと呼べ!あのヒーローが超大作になって帰って来た」
あのヒーローってカートラッセルの事なんかな、大体「ニューヨーク1997」を見た事のある人間がそんなにいるとは思えない、うちの町内でも5人もいないと思う。
90年代はどうもこじんまりとした作品ばかり作ってたカーペンターさんだが、この作品からどうもハジケて来たと思われる、もうカーペンターワールドなのだ、相変わらず悪い奴はオープンカーにマネキンの首のっけて、後ろでミラーボールが回ってて、唐突に出て来る狂ったサーファーは「ダークスター」のコズミックサーフィンだ、津波が来たのに「ふふう、最高だ」と言って波に乗って去って行く、素晴らしく意味不明、そしてスティーブブシュミが乗ってる車はなんと「クリスティーン」だ、カートラッセルが落ちる下水は「ゴーストハンターズ」だし、そういえば中国系のギャングも出てたな、強烈な個性を放って登場したパムグリアー、いきなりワキ毛アップ、かっこいい!!でもいつの間にか死んでるし、本当にどうしてもB級になっちゃうのね。
しかし、今回は今までと違ってきっちりおとしまえつけて主人公は去って行きます、ひよっとしてカーペンターは一流の監督になって行くのかな、いつもの自作の地味な音楽も今回はミクスチャーロックな打ち込みで、ここまで来たんだ、たいしたもんだとちょっとため息も出ました。
面白かった。